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フレディのふしぎな回答(その3)
(その2続き)   1              目次

 さて、ここでフレディとは別の、ロック界の頂点級スターの名前を出すことにしたい。
 フレディが非常に敬愛した人物であり、ふたりの関係に注目することは、本題の「フレディ・マーキュリー」をある角度からくっきり照らし出すと考えるためである。

 その影響関係は片方向でなく、フレディもまた、相手の「30代の晩年」の音楽活動に大きな影響を与えたのだった。

レノン&マーキュリー ~ 40代で亡くなった二人のスターを結ぶもの

 冒頭に書いたアンケートに対するフレディの回答で、当時「なぜだろう?」と意外に感じたものがもう一つあった。
 これも時をへて、逆に「なるほど」と完全に腑に落ちるようになった事柄なのだが……。

 アンケートの項目のなかに、「最も好きな音楽アルバムは?」という問いがあった。
 フレディはこれに、ジョン・レノンの「イマジン」、ただ1枚を挙げている。

 ちなみにブライアンとロジャーは複数のアルバムを挙げ、ジョン・ディーコンは、自分たちの最新アルバムQueen IIだと答えている。

 フレディは、美しいメロディを次々に生み出す天性のメロディメーカーという点で(才能の枯渇など考えられないと自ら語っている)、同じビートルズでもポール・マッカートニーに近い存在であると私は感じていた。

 一方、ジョン・レノンの「イマジン」は、社会的メッセージをふくんだシリアスな内容の作品であり、フレディの歌詞(鬼のバトルを描いたり、ネズミの王様を描いたり)や、ドラマティックな曲調/コーラスワーク等とは水と油に思える。

 むかしポール・マッカートニーを長嶋茂雄にたとえた人がいて、膝を打ったことがあった。くよくよ悩む姿が想像できない、陽性で華やか、ついでに「天然」な雰囲気をもつ、太陽みたいな存在。

 当時のフレディもまた、ファンでさえちょっと引くキラキラ衣装、エネルギーに満ちたステージアクション、華やかな歌唱などから、当初はその系列の人に思えた。

 20世紀が遠くなったいまロック史をふり返ると、ビートルズが活動停止した1970年にクイーンが結成されているのは興味ぶかい事実である。

 現在、英国で自国の最も偉大なロックバンドといった投票をすると、ビートルズ(20世紀最大の音楽家とも形容された)とクイーンがトップを争うという。
 そうした観点でふり返るなら、あたかも英国ロック史において、1970年に王冠の引継ぎがあったごとしなのだ。

 そして、そんな「ごとし」にとどまらず、ビートルズとクイーンの中心人物の間には、ある「受け渡し」が実際に存在していたのだった。

ジェラシー

 フレディが書いた「ジェラシー」という曲がある。嫉妬に苦しめられる自らの心情を赤裸々に歌った曲だが、これは一種のオマージュソングにもなっている。
 ジョン・レノンの「ジェラス・ガイ(嫉妬深い男)」――先述のアルバム「イマジン」中の1曲――を、フレディが明確に意識して作った曲なのだ。

 「ジェラス・ガイ」という言葉じたいを自らの曲へ入れているほか、言葉づかいや音をさまざまに一致させている。

 アルバム「イマジン」前後のジョン・レノンは、この「ジェラス・ガイ」にかぎらず、自らの弱さ、コンプレックス等をあからさまに歌った曲を発表して、みなを驚かせた。
 ロックスターという華やかな立場で、ロックサウンドにのせてそんな表現をする人は、それまでいなかったからだ。

 いや正確にいえば、メロディのキャッチ―さゆえ深刻に受けとられなかったものの、「自信喪失」「落ち込んでいる」「ひどく不安だ」「誰か助けてくれ」といった救助希求ワードがならぶ「Help!」という曲を作った、ビートルズ時代のジョン自身がいたのであるが。

 そんな観点で見るとフレディもまた、クイーンのなかで唯一、そうしたタイプの曲を書き続けた人物だったことに気づく。

 ジョンの「イマジン」の発表は1971年。クイーンのアルバムデビューは1973年。
 最も好きな音楽アルバムは「イマジン」だと語ったフレディは、無意識かもしれないけれど、自らのデリケートな感情をロックで表現するスタイルをジョンから吸収したのではないかと思う。

 しかし、それはもちろん、そのような表現をせずにおれない衝動が自身のなかにあってのことだ。

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