「マザー」「ママ」~母へ語りかける曲
「イマジン」の一つ前のアルバム、「ジョンの魂」は、「マザー」という非常に印象的な曲で始まる。
暗い鐘の音(母の死を意味しているのだろう)が続いたあと、「マザー」という呼びかけでとつぜん開始される、親に捨てられたというジョンの思いを歌った曲である。
詞の内容があまりにすさまじいため、大スターの曲ながら米国では発禁になった。
フレディの「ジェラシー」に、ジョンの「ジェラス・ガイ」が影響を与えていることはよく知られているが、「ボヘミアン・ラプソディ」とジョンが関係づけられるのを見聞きしたことがない。
けれども、私はこの曲もまた、その数年前にリリースされたジョンの「マザー」の影響を受けているように感じるのだ。
それは必ずしも、ふたつの歌が形式的に似ている――「母さん~」という呼びかけで歌い出される――からだけではない。より本質的な意味においてである。
これは、そもそもフレディがなぜジョン・レノンという人物にひかれたのかということに関わっている。
「母」の欠落
ジョン・レノンの生い立ちを少々書くことにしたい。今回はこの人が主題でないから手短にするけれども。
ジョンの父親は、ジョンが生まれて2年ほど経ったときに、家庭を捨てて行方をくらましてしまう。
母親は別の男と暮らし始め、ジョンは叔母さんに預けられる。
母はその後もジョンと暮らすことを望まず、預けっぱなし。父もふらり戻って来ては、また行方をくらます。ジョンは結局、両親どちらとも暮らすことができなかった。
ジョンが18歳のとき(ポールやジョージとバンドを始めたころ)、母はなんと、警官が運転する車にはねられて世を去ってしまう。
先述の曲「マザー」で、ジョンは父母に見捨てられた思いを語り、自分は彼らに「グッドバイ」を言わねばならないと歌う(このフレーズも、ふしぎにきっかりボヘミアン・ラプソディと共鳴している)。
「マザー」は、母親の死から10年以上たって書かれた曲であり、前半を聴くと、ジョン自身、ようやく心の整理がついたという内容に映る。
ところが、そうきっぱり父母に決別を告げておきながら、曲の最後では「ママ、行かないで。パパ、帰ってきて」という言葉がひたすらくり返され、しだいに血を吐くような歌唱になっていく。
時がたち「けり」をつけようとしたけれど、両親に呼びかけるうち昔の気持ちが噴出したという印象のこの歌詞は、初めて聴いた(読んだ)ときも胸をつかれたし、今も同じように胸をつかれる。
「マザー」で始まる、アルバム「ジョンの魂」は、最後、非常に短い「My mummy's dead(母ちゃんが死んじゃった)」という曲で終わる。
ひどく低音質なサウンドと、「マミー」という語にも現れている子供へ帰ったような歌詞。
「母ちゃんが死んじゃった」
「ずっと前のことだけど、飲み込むことができない」
「ひどい痛み」
「でも、それを表すことはできなかった」
「母ちゃんが死んじゃった」
これもまったくロック的でない歌詞だが、こうした言葉を吐き出すことは、ジョンにとって一種のセラピーだったのではないかと思う。
フレディはジョン・レノンより六歳下。彼が英国へ移り住んだのは、ビートルズが最初の数枚のアルバムで旋風を起こしつつあったころである。
自身もロックスターを志す英国の若者にあって、ジョンやポールの成功への道のりといった情報が、メディアや友人たちから自然に入ってこないはずがない。
ジョンほど悲惨な状況ではないにせよ、先述のように、フレディも父母との関係においてこれに似た痛みを味わっている。
8歳にして一人、遠いインドの寄宿舎へ入れられ、以後10年近く、アフリカにいる家族と離れて少年~青年時代を送ったのだ。
「成人したフレディは親への敬意を忘れない愛情深い息子だったが、“遠くへやった”ことで両親を深く恨んでいたと、親しい知人は後年語っている。明らかに、フレディは見捨てられたという思いを乗り越えようと努力したのだろう。」(先述の伝記から)
フレディにあって、ジョン・レノンの曲「マザー」は、この種の体験をもたない私たち(の大半)とは、まったく違って聞こえたはずである。
フレディのジョンに対する親しみ/敬愛は、アルバム「イマジン」中の「ジェラス・ガイ」(ジョン)→「ジェラシー」(フレディ)以前に、ジョンのファーストアルバム冒頭の「マザー」を起点にしていたのではないだろうか。
母へ呼びかけるスタイルの歌を、フレディが意識的にジョンから継承したわけではないかもしれない。
けれども、上のような理由で、ジョンの曲「マザー」は、彼のソロ作品を愛したフレディの心に深く刻まれていただろうと想像するのである。
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