第二の母
わが国、日本へふしぎに強く吸引された点でも、ジョンとフレディは似ている。
ジョンの場合、もちろん奥さんのオノ・ヨーコ(小野洋子)がきっかけだったろうが、やがて日本文化そのものにも吸引されていく。
歌舞伎に魅了され、「自分は外見は英国人だが、心は日本人と思ってほしい」と語ったとか、さまざまな日本人との交流とか逸話は多々あるけれども、ここでは踏みこまない。
いまもそうした傾向はあるだろうが、わが国において昔は「お見合い」というと、男が女より年上という組み合わせを考えるのが基本ルールのごとしであった。
けれども、現実にはそれと逆の形でうまく行っているケースが、ある割合で確実に存在しているように見える。
それは、男と女が横に並ぶというより、どちらかというと女が上方にいて(といっても、「いばる」のでなく「保護」的な意味合い)、単純にいえば、母-子みたいに接しているというものである。
年齢的な意味のみでない「姉さん女房」というか。
たとえば昔も今も野球選手にそうした例を目にする。
野球選手は、純粋なコドモ(野球少年)が、卓越した能力ゆえボール・ゲームを20代、30代まで続けているという存在であり、包み込み/総合サポート的な年上パートナーがぴったりくる場合があるのではないか。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの関係も、ビッグスターがパートナーを従えるといった感じでは全然なく、ジョン自身の言にあるように、彼のほうがむしろ恒常的に心の支えを得ている様子であった。
西洋のロックスターというと、若い美女を横に抱えた写真/映像ばかり目にするから、ジョンと、彼より7歳ほど上のヨーコの写真は最初ちょっとふしぎな感じであった。
しかし、ジョンの生い立ちや、「マザー」で歌われている母の欠落感といったものにふれると、彼が小野洋子というドシッとした空気感の人にひかれたのが腑に落ちる気がするのである。
ジョン&ヨーコは最後の時期(すなわちジョンの40歳での死まで)、ニューヨークの「ダコタ・ハウス」という高級マンションに住んでいたが、長いつきあいである彼らが非常に親密なので、ダコタの別の住民が「あなたたち、いつまでも新婚みたいなのね」と感心したといった話が伝えられている。
両者の間の引力が、「新鮮さ」「若さの魅力」等でなく、母-子や姉-弟の関係に近い永続性あるものだったせいではなかろうか。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、クイーンの初期のころフレディの恋人であった女性、メアリー・オースティンが準主役級で描かれていた。彼の関心が男のほうへ移行してからも、精神的に最後まで彼の支えとなった人物である。
彼女はフレディと共に何度も来日しているが、二人の様子を見た人々は「恋人というより、姉のような感じでフレディを気遣っていた」と語っている。
先述の伝記もそのあたりにふれている。
「ぐらつかず、頼りになり、何でも許してすべてを受け入れてくれるメアリーは、フレディがいつでもすがることのできる母親的存在だった」
幼いころ一人で遠い国の寄宿舎へ入れられたことがフレディのトラウマになり、両親との間に精神的距離を生んだ話を先ほど書いたが、同書によればメアリーはまさに、彼のそうした欠落感をきっかり埋める存在になっていたという。
両親との関係も、愛情欠如が事の原因だったわけではなく、後年は良いあり方へ変わっていったようだが。
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