時代と時代劇の斬りむすび(その2)
(「その1」続き)
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過去と未来は似ている
じつは先ほど、無意味に「ウルトラマン」の話なぞ持ち出したわけではないのだ。
私は、「過去の時代劇」と、こうした「未来の時代劇」は、子供の眼で見たとき実際に似ていると思う。
それはこれらがいずれも「現代のリアル」から遠い、一種の「ファンタジー」であることによっている。
加えて、エンタメに徹したシンプルなお話のつくり。
そしてアクション。
TBSは、「水戸黄門」シリーズ開始の少し前に、「ウルトラセブン」という番組をつくった。
このヒーローの必殺武器は「アイスラッガー」といって、投じると、敵をスパッと真っ二つにしてしまう物体。
あれ、日本伝統の剣術ものの「一刀両断」イメージを、未来SFへもっていった発想だと思う。
このような意味でも、子供と時代劇というのは親和性が高いのである。
さらに、これを男の子だけに限定して考えたなら誤りであって――いや、ちょっと先走った。これはあとの話となる。
昔と同じように作ったのでは……
なぜ、むかしの子供はテレビ時代劇を観たのであろうか。理由は単純だ。親や祖父母など、家族が観ていたからである。
特に、一つの家にテレビが何台もあるという状況でなかったころは、これを眼にしないで生活する子供のほうが、むしろまれだったといえる。
いまは、まるで逆だ。民放で新作時代劇を放送したとして、子供や、時代劇になじみのない人たちが、それを自然に眼にすることはめったにない。
既存の時代劇ファン(その数は時とともに確実に減っていく)以外へ視聴者を拡げようとすれば、昔どおりの番組を作ってもだめで、内容を積極的にこうした人たちを引き付ける作りにする必要があるだろう。そうでなければこのジャンルに未来はない。
冒頭で私が「緑」と書いたのは、子供だけでなく、かの「若葉マーク」そのままに、これまで時代劇にほとんどふれたことがない人たちというイメージだったのである。
もともと魅力がない何かへ、人を誘おうとするのは無駄なことだ。しかし、時代劇には、食わず嫌いならぬ「観ず敬遠」がそうとう存在していると思う。
何かのきっかけでいちど番組を観たなら、10人が10人ハマりはしないにしても、そこに現代ドラマにない魅力を感じる人は多いのではなかろうか。
かつては、お互いけっこう(あるいは非常に)似ている時代劇がどっさり放送され、いずれも多くの視聴者を得ていたのだ。
それは当時の視聴者が、特別に江戸時代好きだったり、まげ/着物好きだったりしたせいではない。
シンプルな勧善懲悪もの特有のストレートな爽快感のみならず、人情ものが持つ要素などもふくめ、そこにヒトの心の需要を、時代によらず満たすものが入っていたためなのである。
今回の「水戸黄門」には、単に「あの伝統ドラマを復活させます」でなく、「金八先生」世代に観てもらおうという、明確な意図が感じられた。
これはもちろんよかったと思うのだ。ただ、この世代は、すでにドラマ「水戸黄門」じたいは知っていて、「武田鉄矢があの黄門様に!」という受けとり方をする人たちといえる。
主にいま、40代以上の人々だろう。
おそらく「水戸黄門」の作り手が目指すところは、BSの場で高い視聴率をあげ、それによりかつての常在地、地上波へ復帰することだと思うが、そうであれば、もう少し視聴者ターゲットを拡げて……。
いま時代劇に関心がない先述の「緑」層を、チョコチョコでなくかなりのマスで呼び込むには、私はたとえば次のような、いくぶん「あざとい」くらいの、ネット等で番組が話題にのぼるしかけが要るのではないかと考える。
水戸黄門ものには古来、ニセの黄門・助さん・格さんトリオが登場するという定番ネタがある。
元来「こっけい」「笑い」要素もふくんでいるのが、このドラマであった。
このニセ助さん・格さんとして、たとえばむかし助さん役をやった原田龍二と、アキラ100%にチョイ出演してもらう。
もちろん全裸での「お盆芸」によって、いま子供からもしかしたら高齢者まで、非常にホットな存在である。
あのフットワーク/お盆ワークの軽さなら、このようなお遊びにはちょこっと「友情出演」してくれるのではないか。
本物の黄門様一行が宿で風呂場に行くと、この二人が洗い場で背中を見せている。
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