「水戸黄門」には、印籠シーンとならび、そこで瞬間視聴率が上がるといわれる、もう一つのシーンがある。
それは、「くノ一」のお風呂シーンだ。
どうでもいいことだけど、私はこの場面で「瞬間視聴率が上がる」と語られている(たとえばメディアで)ことが、ふしぎでならない。
印籠とちがい、このシーンは毎週あるわけでなく、何時に始まるかも不明なのに、オヤジたちはどうやってこれの始まりを探知し、テレビをオンにしているのだ?
番組を最初から観ている誰かが、お風呂の始まりに気づくと、電話連絡網で知人に知らせたりしているのだろうか。対象者をオヤジと断定した点はすいません。
ある水戸黄門ファンが、この「入浴シーン」を非難していた。
こうした映像にたよって視聴率をとろうと考えると、番組全体が堕落する。スケベなオヤジ視聴者共々、こういうものとは決別せよというのだ(ここでは、対象がオヤジと断定されていた)。
作り手としても、このような意見がある一方、入浴シーン・ファンが無視できない数いる点は、悩ましい問題なのかもしれない。
オヤジの一角をなすものとして、私も水戸黄門の一行に、「くノ一」が入っていたほうがいいとは思う。しかし、入浴シーンについては、消えても別に残念でない。
まあ、映像が男ばかりゾロゾロから成っているなか、こうした映像が「美人画」ふうにときどき入るのは、空気が変わっていいけれども……。
それはそれとして、これとは別の視点というか、私は水戸黄門の「くノ一」を、みなが「オヤジ視聴者」問題としてだけ考え、議論していることに疑問をいだく者なのだ。
むかし、ネットの書きこみを目にして、なるほどと思ったことだが、水戸黄門の「くノ一」キャラというのは、女子にかなりファンがいるのである。
そうとう現代ふうにファッショナブルであるレオタード姿で、剣さばきを見せたりキックしたりする姿は、女の子(小さな女の子をふくむ)に、たいへん魅力があるもののようだ。初代(由美かおる)が、かっこいい立ち回りができる俳優だったせいもあろう。
番組の作り手は、男性ファンを意識したねらいで、「くノ一」の衣装(←時代考証無視)や行動を考えていたと思うが、結果として、女子の視聴者に人気を得ている。
男の子がヒーローに対してそうするように、対象に自己を投影して活躍を見るということだろう。
意外な方向からの人気
この点で私が連想したのは、かのピンクレディーであった。
私が高校生のときデビューした人たちゆえ、人気が出ていくさまをよく知っているけれど、彼女たちは当初、スカートの短さからしても振り付けからしても、明確に男性ファンをターゲットにした歌手だった。
それがなんと、小さな女の子たちから絶大な支持をえてしまう。
一つ重要だったのは、たしかにピンクレディーはお色気あり〼だったが、一方で節度というか品があった点ではないか。
彼女たちの成功を見て、より煽情度をアップさせた、クローン的な女性グループを他プロダクションが登場させたが、そっちはぜんぜん成功しなかった。
ピンクレディーが、他の女性アイドルにない女の子人気を得たもう一つの理由は、あのころ女性歌手では珍しかった、歌いながらのスポーツ的に激しいアクションであろう。
男の歌手にもいえることだが、スターが単に歌っているだけでは、見ている側の「なりきり」「自己同一化」の楽しみはあんまりないのだ(ものまね方向は除く)。
ピンクレディーに対する女の子たちの熱狂は、売り出し側が初め完全に男子ファン指向だったように、それまで気づかれていなかった需要/渇望/穴ぼこを、二人がだしぬけに満たしたためといえるだろう。
「女子目線でも魅力ある衣装」「華麗なアクション」――このあたり、まさに水戸黄門の「くノ一」キャラクターに通じる点だ。
今回の水戸黄門は、武田鉄矢が演じるということでとりわけ注目があつまり、金八先生世代の親と一緒に、子供も「ジダイゲキ」なるものを目にしそうな機会である。
そうした「スポットライト・スタート」チャンスに、このドラマ伝統の「くノ一」キャラを登場、活躍させることなく、全回を終えてしまったのはもったいなかったのではないか。
時の流れとともに、格闘やそれに類する世界へ女子がどんどん進出するのを見て、驚いたことがある。
女子プロレスの、投げや跳び蹴りくらいは想像の範囲内だったが、顔を打ち合うボクシングをやろうとする女の子まで、たくさん現れるとは。
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