そこであのお盆芸までやったらドラマが安っぽくなってしまうから、微妙にそれを連想させる体の動きをするとか、言葉を発するにとどめる。
ニセ黄門には、たとえば武田鉄矢マネでおなじみの三又又三を起用する。
1回だけでなく何度か、そのとき話題の芸人さんなどを、ふざけすぎない配慮はしつつ、そのネタを少しにおわす役で番組にまぎれ込ませる。
おもしろい話題を常に探しているネットニュースは、多くの人が知る伝統ドラマの斬新な変化といったできごとには、敏感であろうと思われる。
黄門様役が里見浩太朗だったら、むろんこうした出演者は浮くのだ。しかし、武田鉄矢なら、コミカルなやりとりを入れることで、主役も輝くだろう。
武田鉄矢という人、私は持ち歌が大ヒットしていた時さえ、歌よりも漫談の才のほうがはるかに上だと感じていた。そうした「才」や「味」が、今回のシリーズで十分活かされていたとは言いがたい。
このような試みは、保守的な水戸黄門ファンに不評ではないか――と心配する必要はないように思われる。
一般に、そうした存在の代表である高齢者は、時代劇を作り慣れていない(と想像されてしまう)若いスタッフ、顔をよく知らない若い俳優陣による「水戸黄門」に、元来さほど興味をいだかないであろう。
それがテレビで観られる唯一の「水戸黄門」なら別だが、なつかしい俳優たちが出る全盛期の「水戸黄門」が、BSで毎日放送されているのだ。
番組のスポンサーにしても、購買意欲の低い年配層を視聴者としてねらう必要はあんまりないと思われる。
このような失礼なことを平気で書けるのは、私自身がその層に属しており、自虐ととらえられて済むためである。
50年前に吹いていた「風」のこと
昔と同じアプローチではうまく行かないのではないか――そうしたことを書いてきた。
しかし、一方では、「温故知新」という古の言葉どおり、過去に未来の良いヒントが眠っていることもまた、確かにある。
時代劇の将来の可能性という観点から、私はここで「水戸黄門」シリーズ開始の少し前、いまからきっかり半世紀前につくられた、一つの番組にふれることにしたい。
それは同じTBSが制作した、「風」という時代劇である。
TBSの名ばかり出てくるけども、私がこの局のファンだったわけではなく(子供は局名なぞ意識しない)、後年ふり返ったら、どれもたまたまTBSだったにすぎない。
むかし、TBSは、そうした突出した局であった。
「風」は、怪盗ルパンを、時代劇の世界へもちこもうとした作品だったそうである。
同じくルパンをジャパナイズした話、あの「ルパン三世」の雑誌連載と、放送時期が重なっているのはおもしろい。
1960年ごろ、子供向けの「怪盗ルパン」シリーズ(ポプラ社)というベストセラー書が、世に出た影響だろうか。
私も、「ホームズ」「少年探偵団」のシリーズと合わせ、これをよく読んだものである。
これらはみなロングセラーで、図書館などにもよく置いてあったから、「あっ、なつかしい!」という人、かなり若い世代にもいるのではないか。
「風」には、着物姿のルパンたる「風の新十郎」、これを何とかつかまえようとする奉行所の同心、さらには、時代考証を無視した網タイツ姿でかなりのアクションをやる「かがり」という女忍者(くノ一)が登場する。
かの漫画/アニメの、ルパン、銭形警部、峰不二子とよく似た人物構成である。時期が完全に一致しているから、別にどちらがどちらに影響されたわけでもないと思うが。
そういえば、ルパン三世の銭形警部の名は、時代劇の有名キャラクター、岡っ引きの銭形平次に由来していたのでしたな。
「風」で、奉行所の同心を演じていたのは小林昭二。この人は「初代ウルトラマン」と「初代仮面ライダー」の主人公、両方の「おやっさん」的な役を作中でやっていたという、もしかしたら日本でいちばん偉い(?)人である。
この時代劇は、新十郎が大凧にのって名古屋城のシャチホコを盗むシーンで始まる。
こうした「大胆な怪盗(ただし底に義侠心あり)」「それを捕らえんと執念を燃やす男」「主人公にからむアクション系美女」という基本設定は、「ルパン三世」があれほど多彩な物語展開をもったように、お話づくりの点できわめて可能性豊かであろう。
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