才女たちの縁(えにし) (その2)
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ダーク・フォーク・トライアングル in '70s
「才能」が、ある時期ふしぎにかたまって出るという現象を、いろいろな分野で見かける(将棋の羽生世代とか)。
山崎ハコ、中島みゆきという名前を書きつつ、それで終わりにすると、個人的に三つ脚テーブルの一脚が欠けたような思いがするので、もうひとり別の人物について書きたい。
と記すだけで、すでに名が浮かんだ方もあろうが、私がふれたいのは「森田童子」というフォーク歌手のことである。
名前の読みはふつうに「どうじ」で、「ぼく」という一人称で歌うけれど、中島みゆきと同い年の「女性」シンガー・ソングライターだ。
この人も、活動期間が短かったにもかかわらず人気がたびたびよみがえる。
活動をやめてずいぶん時がたった1990年代に、初期の歌がテレビドラマで使われ、CDが百万枚ちかくも売れた。
昨年も全CDがリマスター再発売され、彼女の活動時にまだ生まれていなかったという人が、非常に熱い感想を書いていたりした。
森田童子という変わった芸名が、何に由来するのか知らない。
ひょっとすると、あのころ青春スターの代名詞だった森田健作(現・千葉県知事)のファンで、今でいうところの「森田チルドレン」的な感覚でつけたのだろうかと、想像したりもする。
二人はキャラクター的に正反対なので、何を馬鹿なと思われようが、お酒を飲めない人があれほど自分の詞世界にアルコールを登場さすように、人は自分から非常に遠いものにこそ、何だかひかれたりするものである。
まあ、実際はぜんぜん違う由来かもしれないけれど、ついそんなことを思うほど、70年代初頭の森健は若い女性、あるいは私らに人気があった。
森田童子もまた、暗い(と一般に評される)曲をつくった人である。
私はそうした雨天・曇天系の歌を、別に好む者ではない。むしろ、暗さが尊ばれる当時の空気をチクチク刺していた、若いころのタモリ(いわゆる、この人の江頭2:50時代)に、共感する側にいた者である。
しかし、上にあげた3人の言葉の力、曲の力、歌の力は、そのへんを関係なくさせるレベルのものであった。
登場から40年以上たっても、新しいファンを獲得してしまう原因の一つかもしれないが、森田童子の作品の空気感は、いまの時代にまったくないものだ。
それは、個人的な挫折や悲しみを歌にする人はどんな時代もいるけれど、この人の出発点が、個人というよりもっと大きなレベルの挫折感を背景にしていることと、あるいは関係しているのかもしれない。
しかし、そうした感情は厳しくフィルタがけされ、ナマのままでは表現されず、ただ透明な悲しみみたいな印象になっているのである。
この人もまた、初期から作品の質が高い。
どのような感じの音楽なのか知りたい方は、いまYouTubeに、森田童子の「スタジオライブ1」という貴重な記録が上がっているので、それを聞いてみていただきたい(「洗濯物」のサムネの「1」をまず推奨)。
どちらも非常に美しい「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」と「ぼくたちの失敗」の2曲が歌われている。
この人は、曲間のしゃべりも作品の一部になるような人なのだが、それもここで少し聞かれる。
「楽器はギター1本で十分」と感じさせてしまう歌の磁力は、中島みゆきや山崎ハコにも通じるところ。
メリーゴーランドを、にぎやかだけど「さびしい」と描写する感性に、私は心のなかで「いいね」ボタンを10回押す。
私がこの人はタダモノじゃないとひっくり返ったのは、初期の代表作の一つである「雨のクロール」。
2分にも満たない、とても短い曲だ。
出だしは、ふわふわ系ラブソングのように感じる。
今日で別れるという男女が、夏の川にいる光景が何やら楽しげに歌われる。
女の子は花柄のワンピースを岸辺に置き、川へ入ってクロールで泳ぐ。
歌い手の「ぼく」はそれをながめ、「うふふふ~」なんてノンキな雰囲気。
途中で「涙色の水」なんて言葉も現れるが気づかず、何だかカラリとした最後の日だなあと、油断して聴きすすむ。
するとラストの一節に至って、歌い手の真情がとつぜん察せられ、全体が悲しみへ落下する。ひじょうに短くて、ひじょうに優れた小説を読んだ思い。
雨ふりのなか、服を脱いで川で泳ごうとする女の子は、考えてみれば尋常でない。
森田童子の感情移入は、「ぼく」ではなく、そちら側にあるのかもしれない(トークで、ちらりそんなコメントもしている)。
徹頭徹尾、水だらけの描写。そこで、クロールの人物は泣いているような気がしてくる。
こんな情景がイメージされ、それをこんなにも短い歌へ圧縮できて、しかもこれがデビューアルバムに入っているというのはすごい。
あざやかすぎる情景結晶化と、カップルの描写がふいに悲しさへ落ちるさまに、サイモン&ガーファンクルの名曲「アメリカ」を思い出したりする。
ここは雨の「クロール」というのが絶妙ですね。雨中の「平泳ぎ」や「背泳ぎ」では、何だか絵が少し可笑しい。
あるいは、女の子が花柄のワンピースを脱いで、川で豪快にバタフライを始めたとなると、ラストはもう大幅に変えねばならなくなる。
泳ぎ方に貴賤はないけれど、悲しい歌への適否はあるのだ。
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