まちがいに「最近」気づいた、と書いているのが1989年のことなので、「新宿の女」のヒット後、20年間、これを性転換願望のうたと誤解していたことになる。
(こういうトンデモナイ思い違いは、人間だれにだってあることです!)
ただ、私は笑い話みたいに書かれているこのエッセイを読んで、男の立場で、ちょっとビクッとしたわけなのである。
それはこれが、「男の作詞家が女の気持ちになって書いた歌詞」であることに関係している。
中島みゆきに限らず、女が「私が男になれたなら~」という言葉を聞いたとき、自然にスッと想像するのは、そういう願望をもつ個人の歌なのね、というイメージなのかもしれない。
だからたとえば、性転換といったことが頭にうかぶ。
実際、この曲の歌詞の1番は、中島みゆきの解釈で進んでいって別に矛盾はないのである。
新宿にはいまLGBT系の人が多く生活している地域があるが、1970年ごろも新宿は、そうした「多様性」許容の代表的な街であった。歌舞伎町あたりへ映画を観に行くと、他の街とちがう外観(いろいろな意味で)の人を、しばしば見かけた。
それゆえ、曲の舞台として特に「新宿」を選び、ぼやかしつつも性転換にまつわる葛藤を歌っているのだろうと想像することは、ぜんぜん変ではない。
作詞者の心にある「正解」と違うので、みゆき解釈のほうが負けて、笑い話となったにすぎないのだ。
けれども――この歌詞はそもそも、男でなく「女の気持ち」を描いたものであった。中島みゆきこそ、その権威であるところの……。
上記の中島みゆきの解釈は、「それでは演歌の詞にならないじゃないか」と、人に言われたという。
「演歌の詞」――まさに、ここがポイントと思う。
「演歌の詞」の、特にこの曲に関係がある特質を一ついえば、「女は捨てられる性なり」「男は捨てる性なり」という、くっきりしたイメージ対照だと思う。
この前提がそもそもなければ、自分(女)が仮に男になって、つまり「捨てる側の性別」になって、その上で「相手を捨てるヒドイことはよす」という、かなり複雑なことを言っている(だから意味を誤解する人も出てくる)詞は、意味をなさなくなってしまう。
元来イーブンであれば、主人公は単純に、「こうした悲しみを他者に与えぬよう、私自身は男を捨てることをよそう」と決意すればすむのだ。
「性転換願望のうたなのかな?」という誤解は、この曲を通して聴いたなら、まず生じない。
後半に、主人公の女が、ビールの栓をポイと捨てるように男に捨てられたという描写が出てきたりして、曲の冒頭の「捨てない」の意味は明らかなのだ。
中島みゆきにとって、「新宿の女」はあまり感情移入できる曲でなく、うた番組で最初のところは耳にすれど、全曲通して聴いたことが、まる20年間なかったのではないか。
現実の世界では、男が女をフッたり、女が男をフッたりする。
人びとが体験を語るのを、何かと多数耳にしたところでは、ふられた後あっさり気持ちの切り替えができるのは女であり、男のほうが未練を長く引きずるものらしい。それで「ストーカーまがい」になったりする。
演歌の歌詞(たいていは男の作詞家が書いている)において、女が「あの人が去って、私はつらくてたまらない」という心情を切々と語るのは、「そのようだったら、いいなぁ」という、男の願望の現れかもしれぬ。現実が、さほどそうじゃないだけに。
より正確にいえば、「新宿の女」の優秀な作詞家は、自分の願望を書いているのでなく、女性歌手の主なリスナーたる男が聴いてグッとくる曲をつくっているのだ。
藤圭子のごとき存在が、「あなたの夢見て、目が濡れた」などと歌うことは必殺兵器になるに決まっている(実際に、すごくなった)。
同じ作詞家&歌手コンビによる初の1位曲、「女のブルース」でも、そのあたりは強烈である。
しかし、こういう男のありようを、あまり責めないでほしいものだ。
そなたもまた同じ
先ほど書いた男女観は、昔ふうの感覚を引きずったもの(今はかなり消えつつあるもの)と思うが、たとえば少女漫画の世界を見ると、「どこにそんなのいる!」というほど美しい容姿の男を登場させ、女として言ってほしい言葉をいっぱい言わせ、楽しんでいるではないか。
かつて多くのおばさまを熱狂させた韓流ドラマ「冬のソナタ」を、私は何の予備知識もなく見たが、途中で「これはぜったい女性脚本家が書いてる」とわかった(実際、そうであった)。
こういうのは、書き手と同性の人が見ると気づきにくいが、異性が見るとすぐわかる。(コッソリ、リユウヲカケバ、オトコタチノゲンドウニ、リアリティガナイ)
「冬のソナタ」ヒットの理由は、「新宿の女」ヒットのちょうど逆だと思う。つまり、表面には美しい男(ヨンさま)/女(ケイコさま)がいるのだが、バックでは女/男が筋書きを書いていて、このたすき掛けが良いのだ。
これらはいずれも、「娯楽」作品である。こうした気持よさのぐあいを非難するのは、男女お互いよしたいものだ。
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