中島みゆきと松任谷由実が、近接して出現したという1点だけでも、異常なできごとといえよう。
1980年代、1990年代、2000年代というふうに、時代を10年ごとに束ね、アーティストの長期的人気をとらえるということが、近ごろなされている。
中島みゆきは、四つの年代にわたって(1970年代~2000年代)、シングルがオリコンチャート1位を獲得。
「四」は最長記録であるとともに、他者への提供曲もふくめるとこれは「五」に達するという。
誰かの歌に反して、ときに時代は、そんなに回らないこともあるのだ。
一方、松任谷由実は、五つの年代(1970年代~2010年代)に、出したアルバムがチャート1位を獲得した、日本唯一の存在だそうである。
それぞれが別種(シングル/アルバム)のトップ記録をもっているという、王冠の分け合いかたがおもしろい。どちらも、超える存在はなかなか出てこないのではないだろうか(「五」って半世紀だからなあ)。
上に書いたシンガー・ソングライター群は、この二人だけを見ても、王貞治とイチローが打線にならぶ野球チームのようなありようなのである。
上記の歌手たちは、互いに「並び立たず」的では全然ないというか、横のつながりも持っている。
山崎ハコと中島みゆきに関しては先ほど書いた。
中島みゆきと松任谷由実は、しばしば相手のラジオ番組にゲスト出演していたが、両者の関係は単なる仲良しをこえて、もう互いに何を言っても可みたいな感じ。
「悔しかったら結婚してみろ!」(松任谷)とか、「ダンナをあたしに貸せ」(中島)とか、あるいはもっと書くことがはばかられる会話もあった(公共の電波で放送されたのに、その紹介が遠慮されるシモ・レベル)。
また、松任谷由実の「あなただけのもの」という曲には、吉田美奈子、大貫妙子、矢野顕子の3者がそろってバックコーラス参加している。
3人がまだ有名になる前だから可能だったのだろうが、これはとんでもなく豪華なコーラスだ。
あるいは、大貫妙子が竹内まりやに曲を提供していたりして、ただ同世代のシンガー・ソングライターという以上に、何かと皆さん近しいのである。
みな大物すぎて、一堂に会してコンサートなんてことはありえないと思うが、この傑出した時期的・同窓生の、すべてとはいわぬまでも何人かが集まり、豪華な共演作品でもつくってくれないだろうか。
むかし米国で「We Are The World」という、レーベルをこえて大物が集まり、ひとつの曲をリレーで歌うイベントがあったけれど、たとえばあんなふうに。
中島みゆきが書いた詞に松任谷由実が曲をつけるとか、その逆で1曲つくって、音の上だけでも皆が共演したら、たいそう話題になることだろう。ファン層が広いアーティスト達であるし。
そんな共演のさまを想像したのには、単に「同世代の歌手だから」という以上に、わけがある。
私は、このすぐれた女性シンガー・ソングライターの一斉出現は、必ずしもただ偶然でない気がしてならないのである。
それは、時間がたった現在から、当時のいろいろな出来事をふりかえってみると、とりわけそうなのだ。
そのあたりのことを、このあと少々書いてみたい。
なお、1970年代半ば頃にレコード・デビューした上記のアーティスト全体を、毎回、長いコトバで言い表すのはたいへんである。
そのため、上記の人々を、日本らしく「学年」がいちばん上の人物(中島みゆき)と、芸能界らしく「デビュー」がいちばん早い人物(松任谷由実)の名前を借りて、このあと短く、「中・松」世代(のアーティスト)と呼ぶことにしたい。
二人の名を拝借したのは、客観的なヒットの多さで頭抜けているためでもむろんある。
ただ、個人的には、これらの人々の名を並べて書いたとき、このなかで誰かが絶対的に優れている/劣っているというふうに感じることが、まったくできない。
「中・松」と書くと、ドクター中松という、やはり長期活躍の有名人(諸発明/都知事選立候補)が頭にうかび、その息子さんはシンガー・ソングライターだったりするけれど、まぎらわしくはないから気にしなくていいだろう。
さて、「中・松」世代の人名をずらり並べた上で、この話はちょっとフェイント気味のところから始めねばならない。藤圭子である。そこにはわりあい深い意味がある。
中島みゆきと藤圭子
中島みゆきが、藤圭子のデビュー曲、「新宿の女」について書いているエッセイがある(「あたしの『新宿の女』」)。
二人のとりあわせも、エッセイの内容もすごくおもしろいので、それを少し紹介したい。
1969年のヒット曲、「新宿の女」の歌詞は、「私が男になれたなら 私は女を捨てないわ……」という言葉で始まる。
男に捨てられた女が、「もし自分が男だったら、相手(女)を捨てるなんてひどいことはしないわ」と歌っている曲だ。
ところが中島みゆきは、この「私が男になれたなら 私は女を捨てないわ」という詞の意味を、性転換を望む女が、手術して外観を男へ変えても「女」であることは残しておきたい、そうした願望だと解釈したというのだ。
「男になれたなら」を、不可能なことの想像でなく、「手術で体を男にしたなら」と受けとったわけである。
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