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才女たちの縁(えにし) (その1)
(2017/8/21)
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時・空をこえて飛んだ人

 山崎ハコが、いまネット経由で欧米でファンを増やしているという話を知って驚いた。この人は、中島みゆきと同じく1975年にデビューし、並べて語られることが多かった歌手である。

 その共通の特徴は、自らすぐれた詞/曲が書け、声にも独特の魅力があることに加え、歌の内容がとても「暗い」ということであった。
 個人的には、山崎ハコのほうが、暗がりを照らす豆電球がさらに一つ消えている印象があった。

 山崎ハコが最初のアルバム「飛・び・ま・す」を出したのは、まだ高校生だったとき。
 にもかかわらず、曲や歌唱力のレベルが非常に高いのもすごいが、現役高校生であることとの対比で、それ以上におどろくのは詞の内容である。

 たとえば「気分を変えて」という曲。毎日が憂鬱で、酒を飲んでもなおらない、泣きたいといった心情が歌われている。

 実際に、少々飲んだことがあったのか(そうだとしても40年以上たった今では時効)、単にイマジネーションなのか不明だけれど、今だったら高校生がこんな詞を書いて歌うことは、レコード会社がコンプライアンス的に許さないだろう。
 諸事あらっぽかった昭和だが、当時もやはりお酒は20からだった。

 アルバム「飛・び・ま・す」で、「これ高校生が書いたの?」と私が最も仰天した、2曲のうちの1曲は、「橋向こうの家」(←現J-POPでは見かけないタイプのタイトル)。

 川のそばにある、貧しくて雰囲気が暗い家屋のうたという点で、かぐや姫の名曲「神田川」をちょっと連想させる。

 余談だがこのアルバムが出た1970年代、芸能界にデビューする「若い」タレントは、年齢をサバ読みしていることがよくあった。
 公表されているプロフィールで、自分より年下だと思っていた歌手が、ある日、報道によりとつぜん、年上に変化したりした(いくら世が高度成長期でも、誰かに年齢で抜かれるなんてことがあってたまるか!)。

 一般の高校に通いつつ、コンテストで世に出たハコさんに、そのようなことはなかったのだが、この「橋向こうの家」の切々とした男への語りかけを聴くと、「レコーディングのとき、ほんとうは35歳くらいだったんじゃないか?」と感じずにおれない。

 陽あたりの良くない家で、まずい酒しか出せないけど、さびしかったら私の所へおいで。やつあたりしたり、薄いふとんの上でお国自慢でもするといいよ。でも、私の身の上については聞かないで――そんな内容の歌だ。
 予備知識なくこれを聴いて、女子高生がつくったと思う人がどこにいよう。

 山崎ハコのデビューアルバムは、通して聴くと、「酒のことが、ずいぶんあちこちで歌われていたなぁ」という印象が残る作品だ。
 発売時期からして、主に15~17歳ごろつくった曲で構成したアルバムだと思うのだが……。
 藤圭子の有名曲の、「15、16、17と、私の人生暗かった~」というフレーズを、思い出さずにおれない。

 たとえば私が、共学の、とある高校に入学したとする。クラスの、隣の席にすわっている女子生徒が、せっせとノートに何か書いている。
 席を立つときひょいと、ノートの内容が目に入ったところ、それが安酒で男をもてなしてあげる話とか、薄いふとんの上でお国自慢を聞いてあげる話とかだったら、ちょっとコワい。

 本人から少しアルコール臭が漂っていたりすれば、なおさらだ。
 もし話しかけられたら、同級生ながら思わず、「ですます」で答えてしまうかもしれない。

 これに匹敵する規模の驚愕といったら、となりに何げなく座っている学友が、フリーメイソンに属していると判明したときくらいだろう。

影が見えない

 アルバム「飛・び・ま・す」で、「これ高校生が書いたの?」と私が最も仰天した、二つめの曲は、「影が見えない」。

 「15年」生きてきたという言葉が出てくるので、15歳のときの作品だろうか。山崎ハコが初めて曲をつくったのは15歳だったそうだから、これがまさに第一作なのかもしれない。

 この歌は、「女子高生=キャピキャピした存在」的な類型イメージの、真ウラを行く何かである。
 恐ろしい恋が始まると、死ぬことばかりを考えたが、いまだに生きている――そんな内容が、少しドスをふくむ迫力ある声で歌われる。

 「いまだに」って、あなた…………R15映画へようやく入れる年齢でしょうが!(当時はそんな区分はなかったが)

 山崎ハコの詞は、表面的な暗い/明るいといった印象をこえて、ときに底知れぬほど深い。
 この「影が見えない」という曲タイトル、ここで初めて見た方は、どのような意味だと想像しますか?

 「影」という言葉は、一般に、比喩として悪い意味で使われることが多い。
 しかし、この歌では、強く「帰ってきてほしい」と呼びかけられている対象が、自分の「影」なのである。

 かつて自分の後ろにあった、影の喪失が嘆かれている。15歳の高校生か中学生に。
 (もう、何か、ぜんぶが違う)

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