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もしやその筋の神様が?

 中島みゆき/森田童子/山崎ハコという3人の女性シンガー・ソングライターは、たがいにずいぶん違う個性をもっていて、ひとくくりにすることは乱暴だ。
 しかし、詞、曲づくり、歌の三拍子の才能のそろい方や、「暗くないっていうのか?」と言われたらそこは否定できないところなど、たしかに共通してもいる。

 こうした存在が、北海道(中島みゆき)、東京(森田童子)、九州(山崎ハコ)と、めいっぱい互いに離れた所に、同時に現れたというのはおもしろい。
 まるで翳り界をつかさどる神様が、人間が同種のお店を離して位置させるような配慮で、3人の愛子を遠く離して誕生させたかのようである。

 北海道、関東地方、九州という位置を見るに、たとえば関西あたりからもう一人出るとバランス的に美しい気がするが、やはり神様も、この地域には別のタイプの芸能貢献を期待しているのかもしれない。

 3者、レコード会社はバラバラゆえ、まったくの偶然――か神のおぼしめし――としか考えられないのだが、レコード・デビューの日にちも、中島みゆきが1975年の9月25日、山崎ハコがその6日後の10月1日、森田童子が20日後の10月21日と、お互い1ヶ月も隔てない時期に収まっている。
 どうしても、トライアングルとして頭に刻まれてしまうゆえんである。

 このなかの先陣である中島みゆきのデビューが、北海道の先輩、藤圭子のレコード・デビュー(1969年9月25日)の、きっかり6年後であるのもおもしろい。
 二人は芸能界的な「誕生日」を同じくしている。

 同郷だし、これはレコード会社が、一種のゲンかつぎをしたものではないだろうか。何しろ、藤圭子がものすごい売れ方をした少しあとだから。

 3人のフォーク歌手は、「似た道をゆく商売がたき」といった関係ではなく、むしろ互いにシンパシーをいだく存在であったようである。

 中島みゆきと山崎ハコは、同じラジオ局の深夜番組を同時期にもっていたが、山崎ハコが降板になったとき、中島みゆきがそれにえんえん抗議する放送をしたのが伝説になっている。妹みたいな感覚があったのかもしれない。
 山崎ハコの曲に、バックコーラス協力までしている(かけだしの頃でなく、中島みゆきが大スターになったあとのことである)。

 また、山崎ハコと森田童子が、札幌の飲み屋で一緒に飲んでいたという、ファンの目撃情報がある(アルコールじゃないものを飲んでいたのだろうが)。
 個人的に、コンサートと同じくらいの見料を出してもよいから、観たい光景だ。

 「明るい音楽」市場の女性スター同士は、おたがい仲が悪いことが多いが、暗いほうはそうはならないようである。
 「いちばん光るのは私よ!」みたいなファイトに、ならないからだろうなあ。

多士済々……すぎる

 先ほど、才能が、同じ時期に「かたまって」出現したというふうに書いた。

 じつは、上の3者のみならず、松任谷由実、吉田美奈子、大貫妙子、矢野顕子、竹内まりやといった、のちに長きにわたって活躍する大物女性シンガー・ソングライターが、中島みゆきより少し年下、山崎ハコより少し年上という一帯に、すっぽり収まって出現している。

 私は、これ以後の「自作自唱」世界しばらくもよく知っているけれど、のちのち大御所化するような才女たちが、これほど時期を一致させて現れるなんてことは起きていない。

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