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 藤圭子が、いちど芸能界を引退したとき、「藤圭子」という芸名に対し、「『あれ』はもう、いないんだから」と、突き放した言いかたをしていたことがある。
 見る側としては、あの人物=藤圭子としてとらえているわけだが、本人の意識ではまったく同一存在ではなかったのだろう。

 藤圭子と宇多田ヒカルが、親子だという言いかたは、本当はおかしい。
 宇多田ヒカルは当人の名前だが、藤圭子は、「芸名」というか、いっそそれを通り越して、「芝居の役柄」に近かったのだと思う。
 だから、歌っていないときでも、藤圭子であるときはつねに、笑うことが禁じられたのだ。

 「あれ」という言葉は、そうした距離感から出たものであろう。


 歌詞の意味を誤解した、先ほどの点は別として、中島みゆきが初めて藤圭子の「新宿の女」を聴いたとき、どんな印象をもったか?
 先述のエッセイで、それはこんなふうに表現されている。

「藤圭子という、いたいけな少女っぽい歌い手さんのドスのきいた声を聞いた。」

 ここには、「こういう方向性(幸薄き美少女)の魅力で、売り出しとりますな、ふむふむ」という、冷静な視線を感じる。

 ただし、藤圭子自身に対しては、「北海道出身の人だとかいう記事を読んだので、なんだか親しみを感じて耳を傾けたものだった」と、好意を書いている。


 ついでながら、この中島エッセイの内容に関してもう一点。

 先ほど、中島みゆきによる「新宿の女」解釈を、「うなずける、その解釈も」と書いたけれど、それはいま現在の、おじさんとしてである。

 「新宿の女」が世に登場したとき、中島みゆきは北海道の学校に通う、まだ高校生だったはずだ!
 こんなことを書く理由はすぐ下に記すが、「15、16、17と」という、例の数字ならびでいうと、17歳だったろう。

 それなのに、新宿ネオン街の雰囲気ともども、そこで働くおねえさんの性転換を想像するとは……。
 まったく、ハコさんといい、女子の高校生は、ませとりますなあ全国各地で。

似ている、違う

 さて、本題へじわじわ、近づいていくことにする。

 藤圭子と中島みゆきの、両方の曲が好きだという人でも、あんがい認識していないことだが、ふたりは共に、北海道からデビューした、ギターをかかえて歌う美形のヒトというだけでなく、いわゆる学年で言うと、同学年である(生まれは半年違いくらい)。

 旭川/帯広の違いがなければ、クラスメートだったかもしれない。

 諸条件が現実とは少し異なり、かつ二人がたまたま同じ学校にいて、共にギターが弾けるということでフォーク・デュオを組んだりしたら、すごかったであろう。

 中島みゆきが詞と曲をしっかり作れて、もう一方は歌がやたらうまいので、和製/女版サイモン&ガーファンクルみたいな感じか。ヴィジュアル的には確実に勝っている(失礼なこと言うな)。


 中島みゆきが、初めてオリコン1位を獲得した曲は、1977年の「わかれうた」。

 遊び人の男が、相手を人間と思わぬような発想で、スッと「私」から去っていく。「私」は、自分はいつもこうだと嘆くが、そこから脱せられない。

 歌い手(私)の姿は、ある意味、「新宿の女」に非常によく似ている。

 男のリスナーがこれらの曲に引きつけられる理由も、実のところ1/3くらい、同一であるかもしれない(その薄幸を埋めてあげたいお助け感といいますか)。
 中島みゆきは、同郷の先輩の成功の形に沿っているように、一見映る。

 しかし、両者は実のところ、似て非なるものである。
 たとえば「わかれうた」の内容は、男女の立場を入れ替えても、心情として成り立つ(「男」「女」という言葉が、そもそも歌にまったく含まれていない)。

 「男の草食度」と、「女の肉食度」が、ともに急上昇しているといわれる昨今、歌詞の「私」を「僕」にするだけで、そのまま歌えるかもしれぬ。
 実際、かつて私は夜ふけの渋谷で、酔って道に寝ころび、女の名前を呼んでいる若い男を見たことがある。

 いや、そこに「女」特有の要素が入っていたってよいのだ(初期中島みゆきには、「女なんてものに」という曲もあった。女から男への抗議の歌)。
 本質的なちがいは、二つの歌をたとえば女性が聴いたとき、詞に対する共感という点で、非常に差があるだろうということである。

 中島みゆきは、「わかれうた」を(他の歌もそうだが)、オトコ向けでなく、同性の共感へ向けて書いている気がする。男がたくさん吸引されたのは、ただ結果に過ぎなくて。
 松任谷由実が書く歌詞なども、まさしくそうだと思う。

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