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皆さん、ギャップが

 つくる曲と、トークの印象がきっちり一致する点で、森田童子は先ほどの3人のなかで、ひとり特異な存在である(より広い観点で見ると、ふつうである)。

 一致しないと悪いというのでは、むろんないのだ。
 ラジオで山崎ハコが、朴訥、ほがらか、年齢のままの感じで話すのを初めて聞いたときは、がっかりしたというより(それもかすかにあるが)、何かホッとしたものである。
 これがもし、わら人形コンコン的な空気感だったら、夜中だしスイッチを切ったと思う。

 もう少し正確にいえば、この人はトークになると、年齢よりかなり年下に感じられる素朴さがあった(実にふしぎな人物である)。

 中島みゆきや山崎ハコは、はかなさとパワフルさの両極をもっているが、森田童子には前者しかない。

 童子という名のとおり、この人は、「うらみ歌」系演歌歌手の、女の情念のほとばしりみたいな世界から、たぶんこの世でいちばん遠い存在だろう。
 まあ、ああした「女の情念ほとばしり」の歌は、たいてい男の作詞家が「なりきり」と想像で書いているのだが。

 個人的な印象では、山崎ハコも実はそうした怖い情念からは遠い人で、たとえば「呪い」あたり、「みんなのイメージそのままに、ついにこんなズバリな曲つくっちゃって、私ったらこの!」と自己ツッコミを入れながらソングライトしている感じがする。
 あの「コンコン」の、10%くらいギャグ感のある明るい歌い方をきくと。

 もっとも、森田童子という人には、別種の大きな「ギャップ」がある。
 透明感のある声と、透明感のない、大きな黒いサングラスをかけた外観との間に。

 この人は、詞を書き曲は作るものの、それを自分自身で歌うつもりは、まったくなかったという。他者(後のアルバム・プロデューサー)の説得により、本人が歌うことになったそうだ。
 だから、たとえば恐いスジの人が相手を威圧するのとは、まったく逆の理由でサングラスをかけていたのだと思われる。

 森田童子のサングラス無しの写真は、公にはまったく残されていない。
 身近で仕事をしたミュージシャンは、この人の容姿はりりしく、フランス女優のイザベル・アジャーニを連想さす顔立ちだったと語っている。りりしい感じは、サングラス姿からも伝わってくる。

 いまはずいぶん社会の感覚が変わったけれど(タモリのテレビでの活躍が大きかろう)、むかしは芸能人がお客にサングラス姿で対することを、「失礼だ!」と怒る人が少なからずいた(相手の目が見えないのって、不安ですからね)。

 森田童子のレコード・デビューは、タモリのテレビ・デビューと同じ年である。
 力づくでお茶の間へ新常識をすりこんでいったタモリは、もしかすると森田童子にとって近しさを覚える存在だったかもしれない。
 タモリの本名も森田であるし(^_^;)。

 まあ、実際は井上陽水あたりを先達として、私もあんなふうにという感じだったのでしょうかね。

 先ほど、当時のフォークソングの歌詞に、酒が付きものであると書いた。
 山崎ハコのファーストアルバムも酒という言葉がよく出てくるが、森田童子のファーストアルバムも、「君の好きな強い酒……」という第一声で始まる。

 単に酒が出てくるだけでなく、出て来かたがスゴかったのは、中島みゆきの初期の曲、「彼女の生き方」。歌の出だしが、「酒と薬で体はズタズタ……」。
 みゆきさん、これは「生き方」というより、「生きることのやめ方」ではないでしょうか(^_^;)。

 あの「コンコン」同様、この「ズタズタ」もわりとサラッと歌われていて、初めて聴いたときは、不謹慎な話ではあるが、「すごい始まりかただなあ」と、一瞬笑ってしまった。

 あらためてふり返ると、昔の若者は、今よりはるかに多く酒を飲んだ。甘いチューハイなど存在しない時代で、もっと成分的に純なやつを。私も例外ではない。

 フォークソングの詞がこのようだったのは、現実そのものの反映、「演歌」の詞の影響、「ロック」の詞の影響など、さまざまな理由があったのだろう。

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