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幻の映像を思いうかべて(その2)
(「その1」続き)   1              目次

 開放志向のメルケルさんを離脱さすのは申しわけないけれど、範囲を少しせばめ、「アングロサクソン主体の国(英国、米国)」で、というとらえ方をしたほうが、より話がくっきりするかもしれない。

 サッチャー首相は、さきほど書いたように「グローバリズム」を先頭でけん引した人であった。
 また、「小さな政府」をめざし、貧富の差が広がることをあまり「悪」と考えない、新自由主義の旗手でもあった。

 米国に、ここ半世紀くらいの大統領のなかでダントツの人気を得た、ロナルド・レーガンという人がいたが、この人もサッチャー首相とほぼ重なる政策で国を引っ張った人物である。

 今年の英国と米国は、これと対照的な方向へ大胆に動いて、世界を仰天させたといえる。

 英国はEUを離脱し、他国との間に「壁」をつくる方向へ舵を切った。
 米国でも、メキシコとの国境に「万里の長城を築く」とまで言い、さらにはクリントン候補(公共投資を重んじる民主党)の2倍以上の公共投資をすると唱えたトランプ氏が、さまざまな逆風をはねのけて勝った。

 こうした、逆方向を向いた「世界の驚かせ方」をならべてみると、アングロサクソンというのは、基本的にどんなありようを尊ぶ民族なのか、わけがわからんということにもなる。

 しかし、私はこの動きにむしろ、先進国初の女性トップを生んだ事実などにも通じる、かの人々の一貫性を感じるのである。

 たとえばこんな例で、わが民族と比較すると、そのあたり説明しやすいかもしれない。

 私は外国の、海から非常に距離がある内陸部に住んだことがある。「どこも実質、海からそこそこ近い」日本各地とは対照的な場所だ。

 そうした所にいると、「水」というのは変化に対するそうとうな重しなのだ、と実感させられる。
 海が近くにない土地では、気温が激変するのである。高温へも、低温へも、パッと変わる。

 私のアングロサクソンのイメージは、これと重なる。

 グローバリズムを先導したかと思うと、「内向き」回帰でもEUのご近所づきあいを真っ先に離脱する。

 その離脱のさまも、「これほど影響重大で、容易に後もどりできない変化については、立ち止まってよく考えてみようよ」という空気が、何だかあんまり伝わってこない。びっくりすることを簡単にやっちゃったなあ、という印象なのだ。

 米国も同様である。時の状況により、進む方向が変化するのはどこでも起きることとはいえ、その変わりっぷりが、日本の目で見ると激しい。

 あのTPP(環太平洋経済連携協定)にしても、日本から見ると、「そちらがTPP、ぜひぜひよろしくと言ってきたから、苦労して国内をまとめたのに、パッと自分がやめちゃうのかよ」というふうなのである。

 伝統的に自由貿易志向である共和党が決めたこれを、民主党大統領がやめたというなら、まだわかるが、実際はその逆だったという……。どちら側が、大きくチェンジしたのだろう?

 上のような書き方は「悪口」にひびきかねないが、よりニュートラルな言い方をすれば、「今まで、このようにやってきた」という経緯が、人をしばる度合いが小さいのである。
 それゆえ、前例や因習をあんまり重んじず、女性をトップにするなんてこともポンとやる。

 「サッチャー」「メイ」「ヒラリー・クリントン」という名前は、ある意味、たまたまだと思う。

 どこの国でも女のなかに優秀な人材はいるだろうが、それを当の民族が、選挙等でトップへ持ち上げるかどうかに違いがある。
 その意味で、女性首相の出現が特定の民族に偏っていることは、必ずしも「たまたま」ではない気がするのである。

 メルケル首相を生んだドイツあたりは、そもそも国会議員の女性比率が1/3を超えており、いずれは国民の構成と同じく、男女半々になるのじゃないかという雰囲気だ(「代議」士という言葉からすると、これはそう変なことともいえない)。
 違いの原因は上層より、むしろボトムのほうにあるといえよう。

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