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二人の女性首相の共通点

 同じころ、こちらは国のトップになったメイ首相も、カラフルな服装を好む人のようである。鮮やかな赤や青の服を着ている様子をメディアで目にした。
 いま60歳くらいというが、高齢でも原色の服は似合うものである(西洋人の髪の色は、得だなあとも思うけれど)。

 サッチャー首相の登場から40年近く経つし、先述のようにチェンジに抵抗が少ないお国柄ゆえ、英国ではもう男の政治家も女の政治家も、意識上、あまり区別されない存在になっているのだろう――そんな想像を、ばく然としていた。

 しかし、今回、まさにメイ新首相に関わる報道を見聞きして、必ずしもそうではないようだという印象を受けた。

 サッチャー首相は「鉄の女」と呼ばれた。これに対し、メイ氏は「氷の女王」と呼ばれているという。こっちは、当人があまり喜びそうにない名前である(議員でなく、スケート選手なら別だが)。

 まあ、物体のちがいは置くとして、「鉄の首相」「氷の首相」といった呼び方(性格がそのようだというなら、ふつうはこれで済む)でなく、あえて「○○の女」といったアダ名にするのは、最後の部分に特別な意味をこめているためだろう。
 「氷」とのセットは、特にそうだと思うが。

 かつてよく耳にしたけれども、いま死語になりつつある言葉に「女流作家」というのがある。
 むかしは女の作家が珍しかったので、あえていちいち「女」識別を付けたが、今のように女の作家がふえると、わざわざそう呼ぶことに違和感が生じてきたのだ。

 逆にいえば、英国でも女性政治家はまだ、「女流作家」に近い特殊な存在と意識されているということだろう。

 ことしの英国国民投票で「EU離脱」という驚きの結果が出て、キャメロン首相が責任をとり辞任したあとの、与党党首(=新首相)の選ばれ方をみても、そんなことを感じた。

 最初かなりの人数の立候補者がいたが、「こんなときトップになっても、良い結果などありえず身がズタズタになるだけだ」と計算したかのように、男の政治家たちは次々辞退してしまい、メイ氏だけが残って無投票で党首になった。

 むろん、もともとトップにふさわしい実力者だったのだと思うが、この人だけがあえてとんでもない火中の栗をひろったさまに、「平時に女が首相になるのはむずかしい」という先述の女性議員のことばを、やはりちょっと思い出した。

 考えてみれば小池知事も、前知事が、何というか伝統的な男の政治家のしくじり方(お金がらみ)で中途辞任したあと、がらりイメージのちがう存在が求められたという状況のなかで、あの大勝をしたのだった。

 小池氏の公約の一つは、「都知事給与半減」という、過去への強い批判ぶくみのもの。東京もまた英国同様、平時でなく明らかに「有事」だったのである。

 「女流作家」→「作家」(性別の注釈なし)という変化と、同じような変化を、このあと政治の世界もするのだろうか?
 それとも、女性首相へのアダ名のつけ方が40年たっても変わらないように、必ずしもそうでないのか?

 作家と、政治リーダーのひとつ大きなちがいは、作家が独り仕事であるのに対し、政治リーダーは男女合わせたおおぜいの人々を統率するという点である。

 女性のピアニストやヴァイオリニストはたくさんいるが、女性指揮者は少ない状況に、これは似ていよう。すなわち、後者は当人だけでなく、統率「される」側の意識にも大きく関わっている。

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