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混雑、大きなもの、大阪(その2)
(その1続き)   1              目次

 限られた空間を活用した「住吉の長屋」は、日本建築学会賞を受賞した。
 そのとき、選考委員長の村野藤吾はこの家を見て、「これは建築家より、使ってる人がえらい」と言ったという。

 この建物に実際に住む人が、ど真ん中が吹きさらしのこの家は「寒い」(あたりまえだ)と、安藤忠雄に文句を言うと、この建築家は、「シャツを1枚、余分に着なさい」、「もうちょっと寒かったら、もう1枚着なさい」と答えたという。

 住人がさらに、「もっと寒かったらどないすんねん」と言うと、「あきらめなさい」と答えたという(本人が某テレビ番組で語っていた)。

 しかし、住人はこの家を嫌がってはおらず、中庭に屋根を付けたりすることもしないで、ずっと住んでいるそうである。
 ここにも、わりと無茶苦茶なことも「おもろい」で許容する、やわらかい気質を感じてならない。

安藤忠雄と司馬遼太郎

 安藤忠雄の名前を新聞のテレビ欄で見かけると、ついその番組を見てしまうのだが、そのしゃべりを聞いていつも感じるのは、何というか、「稚気」のようなものである。それは、70代の今でさえ、そうなのだ。

 この言葉は悪い意味でも使われるので、「稚気愛すべし」という表現のような意味合いだと注釈すべきだろうが。

 建築家としての能力もむろんだろうが、このひと自身のあの雰囲気が、世界のクライアントを魅了するところもあったのではないか。

 安藤忠雄が設計した建物の一つに、「司馬遼太郎記念館」がある。同じ大阪出身ということで、手がけたものであろう。

 これは、資料収集ぶりの凄さでも知られた司馬を、あたかも物を使って表現したような巨大書架――高さが3~4階建てのビルくらいある――で「内装」した建築物である。

 司馬遼太郎というと、博識の、日本を代表する歴史小説家という印象がある。むろん、実際その通りなのだ。
 しかし、この大作家は、次のようなちょっと意外な言葉を書きつけていたりもする。

 「職業として芸術家や学者、あるいは創造にかかわるひとびとは、生涯コドモとしての部分がその作品をつくる。
 その部分の水分が蒸発せぬよう心掛けねばならないが、これは生活人のすべてに通じることである。
 万人にとって感動のある人生を送るためには、自分のなかのコドモを蒸発させてはならない」

 ここではまるで、司馬遼太郎が逆に、安藤忠雄のことを描写しているかのようである。

 もちろん、この作家自身、自分のなかの「コドモ」を蒸発させなかったから、亡くなるまで旺盛に執筆を続けることになったのだろう。

 同郷で、共に文化勲章を受章したこの作家と建築家は、そうした意味でもよく通じているように思われるのである。

創造的すぎる話

 ここで先述の、「漫画の神様」手塚治虫について少し書くことにしたい。

 手塚治虫は、医学博士(漫画家としてはきわめて珍しい)であり、「ブラック・ジャック」などヒューマンな漫画をたくさん描いたので、非・手塚マンガ世代には、理知的な人格者みたいな印象があるのではないか。

 これもまた、完全に「違う」と言いたいのではない。しかし、この人は次のような、たいそうおもしろい逸話も残している。

 これは赤塚不二夫が語っていた話である。日本のギャグマンガの土台をつくった赤塚不二夫は、手塚治虫にあこがれて漫画家になった人だ。

 大阪で、いろいろな漫画家が集まり、テレビの公開録画をやることになった。昼の1時に番組を撮り始める予定で、お客さんも会場に入っている。

 しかし、手塚先生(場所からしても何からしても、一番の主役だろう)がなかなか来ない。
 待って、待って、ようやく6時になって、「5時間遅れ」で先生がやってきた。

 遅れ方もすごいが、遅れた言い訳がもっとすごい(ちなみに、手塚治虫には、編集者たちがつけた「手塚ウソ虫」というニックネームがある)。

 「大変だぁ!」と入ってきて、「羽田で飛行機が爆発した!」と言ったという。
 冗談としてではなく、本当に「遅れた言い訳」としてである。

 言っている相手は、テレビ局なのだから、すぐウソとバレるに決まっている。とうてい、オトナの言い訳ではない。いちおう、悪いとは感じていて、言い訳しているところはまだ良心的か……。

 ほかにも、忙しくて授賞式に行けないから「いま、ロスにいることにしてくれ」と手塚先生に頼まれ、赤塚不二夫が仕方なくそのとおり会場アナウンスしたら、あとでパーティーの時間に来ちゃって困ったとか、石ノ森章太郎の結婚式を、自分が仲人なのにすっぽかし、式そのものが中止になったとか……。

 この、「ロスにいることにしてくれ」→「パーティーに来ちゃった」話から想像するに、「大変だぁ、羽田で飛行機が爆発した!」のときも、実際は大阪にいたのじゃなかろうか。

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