しゃべる内容に「レッドゾーン」みたいなものが少なく、何でもあり的に芸人たちが攻めまくるさまも、そのあたりに関係しているのかもしれない。
私はこうした、手加減なき暴走列車的な感じが、好きなほうである。しかし、一方で、次のようなことも感じたりする。
むかし、欽ちゃん、萩本欽一が、テレビで視聴率100%男(冠番組の視聴率を足すと100%を超える)と言われていたとき、関西ではこの人の笑いが、「ゆるくておもしろくない」と一般に評されていたことを知っている。そう評される理由も、想像できる。
しかし、萩本欽一が、「言っちゃいけない」「やっちゃいけない」方向のあれこれ、たとえば「下ネタ」を自分が絶対入れない理由(昔むりやり「野球拳」番組をやらされたときは別として)を、次のように語っているのを聞いて、私は意外であると共に、これも一方で敬意に値する矜持だと思った。
入れないのは、「下品だから」といった、PTA気遣い的な理由からではない。「下ネタを入れればお客さんは笑うに決まっている。それは笑いのプロとして安易だから、やらない」というのである。
これは、良くいえば「粋(いき)」だし、悪くいえば、お笑いにあるまじき「カッコつけ」ということになるだろう。いずれにしても、実に江戸的というか。
大阪→東京の、勝ち勝ち
関西ではあまり意識されていない、大阪が東京、および全国に与えた、現在まで影響が残るインパクトがあると思う。話題はここで、突然ながら「政治」へ変わる。
むかし、故・ナンシー関が指摘していて、なるほどこれは当たっていようと、ヒザを打ったことがある。
もう20年ほど前になるが、横山ノックと青島幸男が、大阪と東京で、同時に府知事/都知事に当選するという事件(?)があった。
いちおう注釈すると、横山ノックというのは、上岡龍太郎などと組んだ「漫画トリオ」で知られた漫才師である。
青島幸男も、のちに小説家になり直木賞をとったりしたが、元はお笑い畑から出てきた人だ。
コントを書くほか、コメディアン植木等に、「こつこつやるやつぁ、ごくろーさーん」「呼んだパトカー、五万台」等々、不穏な言葉を歌わせたり、「意地悪ばあさん」(「サザエさん」の長谷川町子の漫画)の実写版に、男ながら主演したりした。
今だと、「明日があるさ」の作詞者であると言うのがよいだろうか。あれは横山ノックの、吉本興業の後輩たちが、青島幸男の歌を歌ったものなのである。
東京都の知事は、青島幸男のあと、石原慎太郎、猪瀬直樹と作家が続いたので、いまや一人作業をナリワイとする作家が都知事になることに、特別な驚きはない。
しかし、「青島前」はまったくそうではなかった。
都知事は、国務大臣二人分に相当する権限をもつと言われる。
青島幸男の前の鈴木知事が、内務官僚→副知事→知事という経歴をへていたように、役所を熟知する人や、非常に高名な学者などがつく役職であった。
青島幸男は人気者で、知的な人物ではあったけれど、組織の統治経験はゼロ。このような人を、東京都という巨大組織の長にして、はたして我が街は大丈夫なのか?
既存政党への不信感が高まり、無党派ブームが起きていたが、都民は、「でも、意地悪ばあさんだろ?」で引っかかっていた。
ところがそのとき、西日本の中核都市から、驚くべき下馬評が伝わってくる。「大阪の府知事は、横山ノックで決まりらしいぞ」。
横山ノックという人は、これ以上ふざけた髪型は今日まで現れていない「ピンカール」姿をはじめ、「ボケ」という言葉で私たちが思い浮かべる、そのイメージずばりという感じの人物であった。
天が人を笑かすために、特別にこさえたような――。
そうした人物だけれども、少なくとも東京へ報じられてくるかぎり、府知事に関して府民は「ウチはノックで決まりや」で、まったく逡巡していないように見える(実際にも、他候補を寄せつけない強さで圧勝した)。
この様子に、「ノックありかよ、じゃあアオシマなんか全然OKじゃん」と都民が呼応し、東京でも意地悪ばあさん出身の知事が誕生した――というのが、ナンシー関の推測である。
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