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 ばかばかしいようで、私はこの見方にリアリティを感じる。

 都民の大半が、上のように考えたというのではない。

 横山ノックは得票率がほぼ50%の圧勝だったけれど、青島幸男の得票率は1/3ほどで、圧勝ではなかった。わりあい少数の票の動きで、結果が左右される状況であった。

 タレントの政治家転身についての、当時の空気というのは、彼らが「議員」になることはOKでも(横山ノック、青島幸男も参院議員になっていた)、大組織を導く「知事」はさすがにちょっと、というものであった。

 日本全国で、知事という役職について、人々の心にそうした「結界」が作られていたであろう。

 それを、「パンパカパーン」といっぺんに破ったのが、マンモス都市・大阪から伝わってきた「ノック知事、誕生確実」の報であった。

 この結界消滅により、少なからぬ都民、特に浮動票や、当時も言われていた「選挙に無関心な若者たち」が、青島幸男への投票に向かったと思う。

 若者は、時代によらず、既成のワクの打破にひかれるものである。また、大阪で前代未聞のことが起きようとしているのに、東京のほうは16年間つづいた鈴木都政のあと、またお役所出身の知事かよ――そんな思いだって湧くであろう。

 私のなかで1995年のあの選挙は、「大阪府民」の選択が「東京の知事」を決めた出来事であったと整理されている。

 東京ではこのとき以降、官僚出身者が知事になる空気は完全に消えてしまったし、長野、千葉、宮崎、神奈川など日本各地で、作家/タレント出身の知事が誕生することになった。

 これも、大阪における大胆な「たが」外しが、日本中へ広がって一般状況を変えた例といえるだろう。

 それにしても、横山ノック、青島幸男の両氏は、互いに何か深いエニシで結ばれていたかのようである。

 二人は、横山ノックが6ヶ月早く生まれ、5ヶ月あとに亡くなったという完璧な同時代人で、共にお笑い分野の人気者から1968年に参議院議員に当選し、1995年に知事に当選している。そのときの得票も、163万票(横山)、170万票(青島)とほぼ同じ。

 青島知事の誕生にあっては、東西お笑い界の助け合いみたいなものが、目に見えぬ深層を流れていたのかもしれない。

意味合いはまったく違うけれど

 これとはもちろん、質はぜんぜん違うのだが、私は昨年の、全国の注目を集めた大阪の選挙――大阪都構想に関わる住民投票と、二つの首長選――でも、これと同じくらいの驚きを感じた。

 それは、橋下徹ひきいるおおさか維新の会に対し、府内で自民党と共産党が、手を組んで戦ったことである。

 イデオロギー的関心でなく、哲学的および経済学的興味のほうから、私はむかしマルクスの「資本論」その他を読んだことがある者なのだが、対極的な政党が協力するできごとに、思わず「弁証法的止揚」という言葉が頭に浮かんだりした。

 過去にも「市長」であれば、立候補者特有の事情でそうした相乗りの形になったことがあるらしいが、都道府県といったスケールだと初めてだろう。

 もちろん、今回は明確な目的あってのことで、これ自体について部外者の私がどうこう言おうというのではない。書きたいのは次のことである。

 大阪で自民と共産が組むというできごとがあった、その数ヶ月後、こんどは中央の組織(本部の東京)で、共産党が民主党ほかの野党に、「国民連合政府」構想というものを呼びかけた。

 共産党と民主党が一つの政権をつくるというこの話は、今までの感覚(江戸の)からすれば、これもかなり大胆な「壁」破りである。

 しかし、大阪の地から、自民・共産が組むという「ベルリンの壁崩壊」みたいなニュースが届いたあとでは、もはや洋館の扉が日本の障子戸へ変わったくらい、心理的に壁が薄くなった思いがするのである。

 民主党も、ただちにこの連合構想に、「そんなことはできない」という反応をしなかったのは、大阪で自民・共産の両方と共闘したすぐ後だけに、「それはありえない!」という感覚が薄まっていたということはないだろうか。

 質こそ違うが、このできごとは、私に既視感(デジャ・ヴ)を覚えさせた。

 数十年前とあれが変わった、これが変わったという話をいろいろ書いてきたが、数十年の時をへて、「この点は少しも変わらないなあ」と感じる事柄もある。

 それは、大阪でとてつもなく大胆な(時には大胆すぎる)ことが起き、それがときおり、東京や全国へ波及するといったできごとである。

 今から何十年か経ち、私がいなくなった後でも、人は大阪と東京(または全国)の間で、たぶんこれと同じような出来事を見るだろう。

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