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混雑、大きなもの、大阪(その1)
(2016/2/21)
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(途中に「巨大カメ」の話が出てきますが、関心なき方はすっ飛ばしてください。そのあと大阪の話に入ります。)

 初めに、東京の満員電車に関係したことを少々。

 何ごとも「慣れ」というのは非常に大きいもので、私は子供の時分から「アキバ」駅へちょくちょく行ったり(電子部品のためという注釈がいまや必要だ)、高校からは長年、満員電車に乗る毎日だったため、満杯の電車にさほど「地獄」という印象がない。

 中途半端に隙間があるより、ぎゅう詰めのほうが望ましいと感じるときもあるほどだ。立ったまま居眠りしても、倒れないから。

 「人」という字は、ふたりの人間が互いに支えあうさまを表している――これは、かの「金八先生」の、有名な言葉である(後に、漢字学者により、「この字はそんな由来ではない」と否定され、武田鉄矢も認めるという出来事があったが)。

 私がこの金八先生の言葉をよく思い出したのは、しばしば「地獄」と形容される満員電車のなかであった。

 ぎっしり詰まった車内で、背中を合わせているおじさん等と、明らかにお互いを利用しあって共に寝ているというキズナを感じることがあり、そんなときこの「人」という漢字が頭をよぎった。

 しかし、隙間がけっこうある車内で、見知らぬ誰かとこんなことをやっていたら、それは笑いもの以外の何物でもないのである。
 だいたい、そんな姿勢を二人だけで維持することは困難であって、車内みなのサポートあってこそであり、これは実に3年B組金八先生的なありようといえよう。

 むかしの電車は、真夏のラッシュ時でも、車両にエアコンなど付いていなかった。
 天井へ昇る熱気を、扇風機が乗客へあびせ戻すのが当時の「涼」であって、夏はさすがに「混んでいたほうがラク」ではなかった。

 しかし、それが耐えがたい地獄だったという印象も、あまりないのである。

 降雪量が昔と変わったという話を前に書いたが、地球の温暖化およびヒートアイランド効果で、夏の平均温度もかなり変化しているのだろう。

 昔にくらべ設置台数がすごく増えたエアコンにしても、トータル収支で見ればあれは「熱発生装置」であり、都市の加熱源である。

 クーラーという呼び方は一面的で、室外機の前に立てば瞭然なように、その実体はいわば、「福は内、鬼は外」装置なのだ。外出時は、皆が追い出した鬼(熱)のなかへ出ていかねばならない。

 一方、冬はというと、むかし冬は今より寒かっただけでなく、電車の暖房設備が、よりショボかった。車両も、空調がそなわる前で、すきま風がけっこう入る作りだったと思う。

 だからかなり寒く、それゆえ、真冬に乗りこむ満員電車には、期せずして知らない人たちとやる「押しくらまんじゅうの暖」があった。

 それにしても、「アキバへ行く」という言葉のひびきもまた、数十年でこれほど激変するとは!

 昔のアキバは、若い女の子の姿を目にすることが、いちばん考えにくい街だった。どこへ行ってもたくさん見かけたのは、真空管の曲線美くらいである。
 あのころ、「アキバ系アイドル」なぞという言葉を聞いたとして、何が想像できただろう?

 これが仮に、「歌舞伎町系アイドル」という言葉なら、まだ想像が広がらないでもないのだ。

 歌舞伎町も私が子供のころからよく行った街だが(「映画館の集合地ゆえ」という注釈が、今ややはり必要だ)、同じ特級の集客エリアながら、あそこの空気感は昔からみじんも変わらないなぁ……。

話変わって、とあるスケール巨大な話

 東京において、「丸い緑の」山手線を、「地球」に見立ててみると、アキバと歌舞伎町(新宿)は、北極と南極のごとくちょうど反対の位置にある。

 片側の半円に駅が13個、もう片側に14個という最遠関係。そして、総武線が、「地軸」のように両駅をつらぬいている。

 かつて、「半田ゴテとラジオの街」という印象だったアキバと、新宿歌舞伎町のイメージは、まさに北極と南極のごとく遠かったけれども、今は、美形のミニスカート嬢がたくさん闊歩している点で、何だか似てきている。

 この地域の人はみな耳に刻まれているに違いないのだが、上記の「丸い緑の山手線~」というのは、ヨドバシカメラのCMソングである(CMのメロディは全国共通)。

 ヨドバシカメラはいま、東京ではこの「新宿」と「アキバ」の2ヶ所に巨大な旗艦店をもっている。
 両者は、実際には北と南でなく、山手線の西極と東極に陣取るといった感じだ。

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