才女たちの縁(えにし) (その4)
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底をそのまま流れ続けたもの
1975年に発表された、森田童子、松任谷由実、中島みゆきの曲を、同じものが貫いているという話にもどりたい。
その5年ほど前のできごと(新宿での反戦運動の光景など)をいろいろ書いたが、これは必ずしも、藤圭子→「新宿」という地名にひっぱられた余談ではないのである。
学生運動について(あるいはその空気を)歌っているといっても、この人たちは、けっして政治的メッセージを歌に入れたりはしない。
森田童子の曲には、「仲間がパクられた」といったモロな描写が出てきたりするが、パクった相手を攻撃するような言葉は現れない。先述のように、アルバムからはただ透明な悲しみのようなものが伝わってくるだけである。
それはアーティスト自身の性格・志向にもよるのだろうし、時代が、もはや1970年代半ばへ至っていたことも一つの要因かもしれない。
しかし、にもかかわらず、この人たちはそれ以前の、メッセージ性を重んじた音楽から、小さからぬ影響を受けていると思う。
シリアスさ、思索性といった面もそうだが、ここで注目したいのは、たとえ作詞の素人が作るものでも、「歌」にあってはすみずみまで言葉がちゃんとしていなければならないという、基礎感覚みたいなものである。
何も言っていないような、メロディに沿って声を発するためだけの、まにあわせの歌詞を書くわけにはいかない。
「歌」には、極端に分ければ二つの側面があるだろう。
「伝えたい言葉があって、‘ふし’を付けてそれを伝える」という側面(プロテストソングなどは主にこれ)と、「音楽じたいが主な目的で、その楽器として人声を使う」という側面である。
昭和の歌謡曲は、いわゆる「Aメロ」と「サビ」だけから構成されているものが多かった。
いまのJ-POPは、Aメロ→Bメロ→サビという、より複雑な曲構成が主流である。
しかし、たとえば森田童子の「ぼくたちの失敗」には、Aメロしかない(サビと呼ぶより、Aメロと呼ぶべき音の連なりだろう)。それが、ずっとくり返されるだけ。まさに、詞を聞かせるタイプの曲構造なのだ。
だからといって、この曲は音楽として退屈だろうか? たとえば先ほど紹介した、ギター1本の伴奏だけで歌われたバージョンを聴いて判定してみていただきたい。
この曲は、歌い手がとうの昔に引退している平成の世で、とつぜんCDが100万枚近く売れるヒットを記録した。
もちろん、テレビドラマがこれを使ったことがきっかけだったが、曲じたいに魅力がなかったら、これほど大ぜいの人がCDを買い求めることはなかったろう。
まあ、音楽が、曲構造を複雑にすればするほど単純に魅力を増すものなら、ミニマル・ミュージックなどというものが、世で求められるはずもないのである。
松任谷由実は、先述のようにもともと作曲家を志した、音楽志向の人だ。しかし、そうでありながら、作詞家としても食べていけそうな印象ぶかい詞をつくる。
先ほど「メッセージとしての歌」ということを書いていて思い出したのだが、ジブリの有名映画でも使われた松任谷由実の曲、「やさしさに包まれたなら」(1974)に、「目にうつる全てのことはメッセージ」というフレーズが出てくる。
たとえばこれなど、初め聞いたときはどうということもなかったのが、しだいに、何かと頭で鳴るようになってしまった言葉である。
べつに、「神様からのメッセージである」といった宗教的な受けとりをするわけではない。
しかし、たとえば周囲のあらゆる人の応答のさまにしても、物ごとの自分にとっての「見えかた」にしても、外界なるものは自分を正確に映してよこす鏡だというのは、けっこうずばり真実であると思われる。
音の面で魅力をもつとともに、こうした印象的な言葉をふくんでいるのが、すぐれた歌というものであろう。
「中・松」世代の人たちは、曲の詞がすぐれている点でも、横に糸が通っている。
大貫妙子が、とあるインタビューで、「私の歌はすべて、詞より曲づくりが先です」と語っていた。
新鮮なコード進行をいつも探っているような曲の印象から、この言葉が半分は腑に落ちつつ、「ぜんぶあと付けで、あんな詞が完成できるのかいな」と、半分おどろいたものである。
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