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 この歌手たちのなかに、70年代のリブ運動の闘士みたいな雰囲気の人はいないのだ。
 しかし、あたかもその運動に呼応するように、音楽の世界でこの人たちがある解放(=リブ)を行ったことはたしかである。
 その後は、もうただ、「シンガー・ソングライター志望の子がいるの? 男? 女?」というふうになった。


 先ほどの話の続きであるが、山崎ハコは九州時代、「女の子だから」ということで差別的な扱いをされると、いちばん信頼していた祖母のもとへ行って不満を訴えたという。

 しかし、あんたが何も言わないでおけば、それで丸く収まるんだから、我慢しなさいと諭される。これは場所によらず、あのころのおばあさん世代の感覚として、一般的なものだったかもしれない。

 山崎ハコが住んでいたのは田園地域で、いつも好きなだけ、大声で歌をうたえた(あの声量は、そこで自然に身についたものなのだろう)。大声で歌うことは、上のようなうっぷんを晴らすよい方法だったのかも。
 しかし、高校から都会・横浜へ引っ越すと、そんなことはできない。近所からすぐ苦情がくる。

 友だちから電器屋さんコンテストの話をきいて、出ようと思ったのは、ふだん歌えない欲求不満が一番の理由だったという。そして、冒頭に書いた、小さなお人形の話へつながる。

 こうした話を聞くと、1枚めのアルバム・タイトルのあの「飛・び・ま・す」宣言には、「黙れば丸く収まると言われても、そのままじゃ、やっぱいられないよ!」という気持ちが、噴出しているように感じる。

 人物紹介が趣旨ではないため、子供のころ山崎ハコが抱いた不満の話はだいぶハショって書いたが、あんたはこういう立場だから、先生を目指すことはできないとか、不満があっても黙っているしかないといった話に、私がふと連想したのは英国のロック・ミュージシャンのことだった。

(ここから、話がややそれるようだけれども、ブーメランのように帰ってくる話なので、おつきあいいただきたい)

米、英、日にあってのブルース(非「伊勢佐木」的な)

 かつて世界を席巻した、英国のロック。その創成期のミュージシャンの多くが、アメリカの黒人ブルースに影響されるところから、自らの表現をスタートしている。

 人によって影響の大小はさまざまだけれど、彼らのインタビュー等を読むと、これとまったく無縁だったミュージシャンは皆無に思える。
 輸入されるブルースのレコードを競うように買い、バンドを組んでそれらをコピーし、やがて独自の曲をつくるようになる。

 私たち(日本人)はおおむね、これらの音楽をただ音として聴くので、ブルースの「サウンド」の魅力が、世界のなかで特に英国の若者の感性にマッチしたのだろうと推測する。しかし――。

 同じく米国黒人による音楽でも、「ジャズ」は、フランス、イタリア等の欧州諸国、南米、日本など、世界中で非常に多くの熱いファン/フォロワーを生んだ。

 これと比べるとブルースは、他国にファンがいないわけではむろんないが、とびぬけて英国の労働者階級――ロック・ミュージシャンの大半はこれに属す――に、熱狂的に受けとめられた音楽である。
 そこには、もしかすると「サウンド」以上に、大きな理由があったのではないか。

 ブルースは、いわゆる「ガラスの天井」どころか、明示的な差別、石の天井のようなものを頭上にかぶされていた米国の黒人が、悲しさや絶望感を歌った音楽である。

 一方、イギリスの労働者階級の上にも、奴隷といった意味合いではないにせよ、同じく固い天井がかぶせられている。

 英語という言語を共有する彼らは、ブルースのなかに、言葉とギターの響きによって、鬱屈した思いを発散さす最高の手段を見たのではないだろうか。

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