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サウンドと言葉のウエイト

 最近は、音楽優先の度合いが大きかったり、ほかにもいろいろ理由があると思うが、「音」なしで、詩のように歌詞だけを読んでも価値をもつといった歌が減っている気がする。

 中島みゆきが、いまもドラマ主題歌などでヒット曲をはなち、街でそれが、他のいろいろな曲とともに耳に入ってくる。するともう、一つひとつの言葉がぜんぜんちがう印象をもつ。

 柔道でいえば、道場に白帯や黄帯や緑帯がたくさんいて、わいわいきゃあきゃあ倒しあっているところに、眼光するどい黒帯がひとり混じって、それらを睥睨している感じなのだ。
 中島みゆきは若いころから、たとえば「世情」あたり、もう嘉納治五郎みたいな迫力と貫禄であった。


 ニッポンの教育は、詰めこみ偏重だという批判があり、感性、創造性、表現性をゆたかにする「情操教育」が求められている。

 そこでは、マニュアル化された教材を使うのはよろしくない一方、たくさんの日本人が「これはよい」と太鼓判を捺した何かを、子供たちにはふれさすことが望ましい。
 どうしたらいいか。

 たとえば中島みゆきの名曲「ホームにて」を、日本の全中学生に、家で10回聴くことを宿題にしてはどうだろう?(そんなムチャな。典型的な詰めこみ教育ですがな。)

 あるいは毎晩、子どもたちが眠っているところへこれを流して、サブリミナル効果をねらってもいい。

 すでに子ども向け番組で「呪い」が流されたわが国にあって、このくらいよいのじゃないか。同じ歌手の曲でも、「うらみ・ます」を中学生に聞かせろといっているわけではないのだ。

 4割くらい、上のことは冗談で書いているが、「ホームにて」を知っている人のなかには、強く賛同してくれる人もあろう。

 「中・松」世代の人たちが魅力ある詞を作ったのは、必ずしも才能によってだけでなく、男のシンガー・ソングライターも含め、「歌はまず、詞がちゃんとしていなければダメだ」という感覚が、当時みなに共有されていたためでもあろう。
 だから、音楽第一の人であっても、歌詞をみがくことへ相当なエネルギーをそそいだ。

 その横の、歌の世界のメインストリームでは、多数のプロ作詞家が、専業であるだけに腕をきそって、歌詞というものの「標準レベル」を高めてもいた。

 最近は、歌詞というものを、意味よりむしろ「音」優先でチョイスし、遊ぶこともなされている。実のところ、それはそれでおもしろいと思うが、そうした方向ばかりになってもつまらない。

 歌の「ことば」面に意欲のある若いアーティストは、同世代の曲だけでなく、ここで書いたような時代の曲も、ちょこっとダウンロードしてみてほしいものだ。

 たとえば、上に書いた「ホームにて」とか(失礼ながらこの曲は、なるべく、他者がカバーしたものを最初に聞かないほうがいい)、松任谷由実の「あの日にかえりたい」「卒業写真」といった曲を。
 ブンガクブンガクしていない平易な言葉でも、すぐれた詞は生まれるのだということがわかるだろう。

 あるいは、たとえ興味本位でも(あたりまえか)、山崎ハコのファーストアルバムを、一線をこえる気持ちで買ってごらんなさい。

 2017年を生きる西洋人(ないしはアフリカンアメリカン)が、彼女のアルバムを「新しいものが入ったタイムカプセルを開いたようだ」という受けとめかたで、絶賛していることを書いた。

 現代日本にあっても、あまりにいろいろ違うからこそ、ハマる若者がいるのではないかと思う。
 あるいは逆に、「バブル」というキンキラした時代を最遠点として、いまブーメランがふたたびこの空気感へ、帰ってきているようなところもある。

 陽あたりの悪い、橋向こうの家へ、あなたもお呼ばれしてみませんか。

自己メッセージの発信

 単に当時、「歌詞が重んじられていた」と言うだけでは、十分でないだろう。
 あのころの状況は、たとえば後年、インターネットが普及したときの状況に、ちょっと似ていたのではないか。

 すなわち、自分のメッセージを広く世界へ発信する手立てが、そこで一つ生まれたということだ。

 それは、必ずしも社会的/政治的メッセージにかぎらず、言葉を道具とした自己表現一般という意味である(その多彩さは、切ない歌詞、怒りの歌詞、こわい歌詞、悲しい歌詞、愉快な歌詞、美しい状景をイメージさす歌詞等々)。

 言葉のプロだけが、作ったものを多くの人々へ披露できていた状況が、変化した。
 ここで書いているアーティストたちの、特に初期の曲をきくと、しゃべりたいことを曲にのせてワッと放出できることの、喜びがあふれているように感じる。
 後年の詞ほど洗練されてはいないけれど、心に引っかかるエッジが詞にある。

 むかし、映画が白黒からカラーへ移行したころ、絵画的センスに富んだ映画作家(黒澤明とかフェデリコ・フェリーニとか)が、カラー第1作で、喜びを爆発さすように色彩鮮烈な映画を撮っていたが、たとえばそんな感じ。

 開拓世代特有の熱さ、エネルギー(時には力こぶ?)も、この人たちを貫いているものの一つだと思う。

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