才女たちの縁(えにし) (その3)
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時代の転換点
同学年の大スターである藤圭子と中島みゆきの名をならべ、上のようなことを書いてきたのは、この位置に一つ「転換点」があって、二人がそれを象徴しているような印象をいだくためだ。
転換というのは、そこで従来の歌謡曲スタイルがパッと変化するということではなく、ほぼそれのみだった女性歌手の世界に、ここから何かが決壊したかのように、新しいタイプ(自作自唱)の歌手がどっと現れたということだ。
両者のちがいは、どちらも「暗い」「怨み歌」とよく言われた二人の北海道の歌姫の曲に、似た面があるからかえってくっきりと現れている。そのあたりが、上に書いてきたことである。
たとえば俳優という職業が存在するように、自分以外の人が書いた何かを表現することや、あるキャラクターを演じることが悪いわけではもちろんない。
一人でいくつもの役割を兼ねる人は、それぞれについて専業の人ほどすぐれた結果を出せないことがふつうだ。ふつうでない人が、たまにいるだけで。
秋元康という「男性」作詞家がいる。女の子が歌う曲の詞を書いて、今も昔も、ものすごくヒットさせる。
あるいは、阿久悠という大作詞家がいた。いかつい顔だったせいもあろうけど、「おじさんが、よく女の子の気持ちになって詞を書けるなあ」と、しばしば言われていた。作品をもらったアイドル自身がそう話すのを聞いたこともある。
しかし、阿久さんは、実際に「なれた」人だったかもしれないが、その曲のリスナーが主に誰かということを考えるなら、必ずしも「なれる」必要はないのだ。
むしろ、自らが男だったり、男の子を通過していることのほうが、より重要な場合もあるだろう。
郷ひろみがデビューしたころ、女性作詞家・岩谷時子が次々に詞を書いていた。私は、「なんで男の歌手の言葉を、女が書いてんだ?」と、奇妙に思った。
しかし、いま思い返せば、かぎりなく少女漫画に近い外観の10代郷ひろみに歌わす、「どうしてそんなに きれいになるの?」という歌詞など、女性作詞者ならではの、えぐい強力攻撃だった気がする。
しょーもない歌詞だなあと当時おもったが、これはターゲット外のわたくしの、無理解かつ無意味な感想でありました。
一流の作詞家は、もちろん男女問わず多くの人をひきつけるジェンダー・フリーな詞も書く。秋元康でいえば、美空ひばりに書いた曲、「川の流れのように」とか。
しかし、こうした作詞家は他方で、「女子アイドル⇔男子リスナー」といった(必然的な)関係をふまえた詞も、プロらしくツボを押さえて書くのだ。
同じ秋元康の、初期ゆえ思いきりかました感のある、やはり非常にえぐい例を一つあげれば、高校生アイドルに歌わす「セーラー服を脱がさないで」という曲タイトルとか。
こうしたプロたちは、ターゲットのハートを正確に射ぬく、スゴ腕の「ヒットマン」なのである。
「セーラー服~」の場合、スナイパー秋元の銃口の角度は高く、たぶんおっさんまでねらっていよう。
このようなタイプの曲の価値(上記はあえて極端な例だが)と、逆に、歌手と同性のリスナーがむしろ共感をおぼえるような曲の価値と、両方が存在していて、今後もその二つは確実に求められていくと思う。
「新宿の女」的な磁力の曲は、形を変えながらいまも存在しているのだ。
さて、話をもどして、ここで注目したいのは、「中・松」世代のシンガー・ソングライターが登場したとき、女性歌手の世界に、それまではゼロに近かった「片側」が、そこで急激にそろい始めたという点なのである。「転換点」と書いたのはそうした意味だ。
それはなぜ、この時点(1970年代前半)だったのか。
そこで先ほど書いた、この人たちの一斉出現は、必ずしも偶然だけではないだろうという話となる。
私はそこには、偶然に加え(あれほどのそろい方は偶然でもあろう)、三つほど大きな原因があったのではないかと考える。
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