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国際スター・ゴジラが足を向けて寝られない恩人(その4)
(「その3」続き)   1            目次

これもニッポンならでは

 ところで、スピルバーグが黒澤明を敬愛していることはよく知られている。そんな彼にとって、「怪獣王ゴジラ」はゴジラの生々しい動きとは別な意味でも驚きの映画かもしれない。
 黒澤作品でおなじみ、志村喬がここに出ちゃっているからである。

 1954年に作られた東宝映画「七人の侍」と「ゴジラ」の両方で、志村喬はラストシーンで印象深いセリフをつぶやいている。

 このことがさほど驚きでないのは、たぶん世界で日本人だけだ。

 「怪獣王ゴジラ」は世界でヒットした。しかし、それはB級の映画としてである。
 ミニチュアの街を着ぐるみの怪獣が壊す映画というのは、どれほどおもしろくてもそのように認識される(それでいいと思うが)。

 一方の「七人の侍」は、世界でどのような映画と見られているだろうか?
 たとえば、イギリスの映画協会が選ぶ「映画史上最高の作品ベストテン」(10年おきに選出)で、この映画はこれまで何度もベストテンに入っている。

 というか、作られてから60年も経つのに、20位以下になったことが一度もない。全世界で作られた、すべての映画のなかでである。

 志村喬が、黒澤明の「七人の侍」に出演した直後に、「ゴジラ」に出演する。

 これはアメリカ映画でいえば、名優ヘンリー・フォンダあたりが、ジョン・フォードの名作「荒野の決闘」に出た直後に、特撮「キングコング」に出演し、空を見上げて「なんだあの巨大なサルは!」と目をむいたりすることに匹敵するだろう。アメリカで絶対に起きないことの一つ。

 「七人の侍」の2年前に、志村喬は黒澤明の別の名作「生きる」に主演している。
 ニューヨーク・タイムズは、この映画での志村喬の演技に感動して、「世界一の名優」と形容したという。

 これを書いた批評家が、もしそのあと映画館かテレビで「怪獣王ゴジラ」を観たりしたら、びっくりして口から火を吐くかもしれない。
 ラストの名セリフなど、深みのあるシーンはそこでぜんぶ抜かれているのだから(代わりに、アメリカの誰かの背中が、志村喬として出てくる……)。

 確実に両方見ているスピルバーグは、そのへんどんな感じだったのだろう?

 「七人の侍」「生きる」の志村喬に感動した欧米人が、着ぐるみ映画「怪獣王ゴジラ」に出ている志村喬を見る感じは、「HANA-BI」「ソナチネ」のシリアスな北野武に感動した欧米人が、着ぐるみでおどけるビートたけしを見る感じに、もしかして近いか?(少しも近くないな)

 志村喬は、「七人の侍」「ゴジラ」の翌年、ゴジラ第2作に出演してゴジラの逆襲まで受けとめたあと、黒澤明の「生きものの記録」に出ている。

 これら4作品での、志村喬の主役級共演者は、三船敏郎→ゴジラ→ゴジラ→三船敏郎であった(共通点は、日本映画界の「超大物」?)。
 邦画の国際的なピーク時代を象徴する出来事だろうか。

 志村喬がゴジラ映画に出たのは、それがシリアスなメッセージを持つ特別な作品だったからだろうなどと、決めつけてはいけない。
 志村喬はそのあと、「妖星ゴラス」「フランケンシュタイン対地底怪獣」といった映画にも出ている。

 前者には、セイウチに似た南極怪獣「マグマ」というのが出てきて、志村喬はこれと直にからむ。

 後者は、フランケンシュタインの怪物が次第に巨大化して、地底怪獣バラゴン(気の毒なほど弱い)と戦い、最後は大ダコと格闘しつつ、湖に沈んでいくというすごい映画である。
 私は一度見て、そのあとテレビで確実にもう一度見られる機会があったが、見なかった。

 志村喬クラスの俳優の絶頂期&晩年であれば、仕事をチョイスできた気もするのだが、ひょっとしてこの名優は、怪獣映画わりと好きだったのだろうか? (個人的によほど思い入れがあれば、ヘンリー・フォンダがキングコングに出たっておかしくない)

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