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 しかし、この映画を通して観ると、人物シーンと特撮シーン(初期だから、ぎこちなさもある)が交錯し、日本の映像とアメリカの追加映像が交錯し、演技の素人と玄人も交錯するという、C級D級にも見えかねないこの映画にあって、バーが終始、本当にゴジラを目撃しているような表情で芝居していることが、映画にリアリティを与えていることを感じずにおれないのである。

 これが、「こんな芝居、ばかばかしいと思ってやってんだろうなあ」と観客に感じさすような投げやりな演技だったら、特撮シーンのすごさは同じでも、映画の「チープ」度は格段に高まったと思う。

 真剣にやる気がしない理由がごっそりある当時の状況下での、このバーの「照れず、投げやりでなく、過剰で恥ずかしくもない」演技や、そういう状況だから見てとれる真のプロ根性は、日本の特撮/CG映画に出る俳優さんなんかも見習えるものではないか。

 ゴジラが世界中で人気を博していることは、日本人のほとんどが知っている。

 しかし、映画「怪獣王ゴジラ」によって(ゴジラ第一作によってではなく)、ゴジラがついには世界50ヶ国へ知れわたる上で、レイモンド・バーなる人物が小さからぬ貢献をしたことは、ほとんど知られていない。

 世界中へのこの「初めの一歩」ゆえに、いまの国際スター・ゴジラはあるのであり(今回の2014ゴジラもあるのであり)、バーはゴジラにとって隠れた恩人の一人なのである。

 こんなバーさんに、恵美子がうっかり芹沢博士の大ひみつを漏らしたからといって、だれが責められよう? (しつこいか。米制作者のこの「ちゃっかり改変」ぶりは、どうもツボにハマってしかたない)

 レイモンド・バーは、先述のテレビ番組「弁護士ペリー・メイスン」で、米テレビ界のアカデミー賞であるエミー賞の主演男優賞を2度も受賞した、実のところ相当な名優である。

 「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(名声の歩道)」にもプレートが張られている。後年、大学の映画科で演技を教えたりもした、ほんとうに演技派役者なのだ。

 ゴジラ第一作から30年後に、東宝は原初の「恐いゴジラ」へ回帰しようとする30周年作品「ゴジラ」を作った。

 これに対し、ハリウッドもきっちり原点回帰したというか、また「怪獣王ゴジラ」に似た映画を作った。追加撮影シーンを同じように加え、「Godzilla 1985」というのを制作したのである。

 すでに俳優として名声を築いていたレイモンド・バーは、この映画にも出演した(名優のなかには、怪獣映画での芝居がそんなに嫌でない人がいるものなのかもしれない)。

 彼はこの「Godzilla 1985」で、ふたたび有名なアメリカの賞を受賞する「寸前」まで行った(危ないことに)。
 アカデミー賞の前日に発表される、ゴールデンラズベリー賞の最低助演男優賞にノミネートされたのである。最悪の映画や俳優を表彰するやつだ。

 バーの、ゴジラ映画への度重なる貢献と、日米社会での極端な低評価とのギャップが、気の毒でならない。実は、すごくやりにくい芝居をやり続けたのに……。

 まあ、ヒットが何より勝利であるタイプの映画にあって、この人は60年前にも30年前にもちゃんと勝ったのであるが。

 ちなみに、バーは幸い、この賞の最低助演男優賞を、ノミネート止まりで受賞しなかった一方、かのエメリッヒ版ゴジラは、1998年の最低リメイク賞をもろに「受賞」した。
 とばっちりで、この映画に出演した女優まで、最低助演女優賞を「受賞」した。

バー・チルドレンがたくさん現れたその後の日本怪獣映画

 さて、不自然な「背中役」を多用するムリまでして、アメリカの映画会社が日・米パッチワーク映画「怪獣王ゴジラ」を作った理由は、

 「政治・社会的な意味でそのまま残せない部分、あるいは外国人の目で見て退屈・意味不明な部分を抜いて、再構成する」

ということ以外に、もう一つあったのではないかと私は考える。

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