ここにはもちろん、怪獣映画に出演することが、ちっとも俳優のランク・ダウンにならない日本の特殊性もあろう。
たとえば、かの高倉健さえ、ゴジラ映画に出演する寸前まで行ったのだ(若いころではありませんよ)。実現しなかったが、これは制作者側の事情ゆえであった。
仮に吉永小百合が、ゴジラ映画に出たことがあると聞いても(実際はないが)、そんなに意外な感じはしないだろう。
なぜ、日本はこの点でこんなふうに特殊なのか――私は技術的な創意工夫への、日本人の特別な敬意と、ぬいぐるみキャラ好きDNAが効いているのではないかと思う。
トップクラスの理科系頭脳が、日本ではロボット分野へかなり多く進むという事実に、欧米の人は驚く。あちらでは、ロボットというのはそのような分野ではないのだ。
「特撮の神様」円谷英二が、本編の映画監督に勝るとも劣らぬほど尊敬された事実にも、私は同様のものを感じる。
それと、ゴジラや怪獣グッズの人気は、キティちゃんやクマさんグッズの人気と、けっこう近いものだと思う。性別で、方角がちょっと変わっているだけだ。
レイモンド・バー賛
しかし、実際に特撮の怪獣と共演するというのは、役者にしたらなかなかたいへんなようだ。
ゴジラファンとして知られ、自らもゴジラ映画に出演している俳優、佐野史郎が次のようなことを書いていた。
助監督が、棒の先に軍手をつけて掲げ、「はい、ここにゴジラがいまーす」と言う。その軍手を見上げて、俳優たちは演技する。これは、ある意味では虚しい作業だという。
それでも日本人であれば、特にゴジラが世界の人気者になったあとなら、ゴジラものに出ること自体が誇れるような一つのステータスであり、こうした演技はそんなに苦ではなかろう。
しかし、ゴジラがまだ海のものとも山のものともつかぬ時代に(これは今でも、つかないのだが)、ハリウッド・スターがこの「はい、ここにゴジラがいまーす」に従って、驚いたり恐れたり、ひたすら表情を作る演技をくり返すというのは、どうであろうか?
しかも、しばしば一人でカメラの前に立って……。
「怪獣王ゴジラ」に主演したレイモンド・バーがしたのは、そういうことである。
この人はもともと、戦前はブロードウェイなどに出演していた舞台俳優である。太平洋戦争では沖縄戦に参加して身体を悪くしたという(内臓を痛めたらしい)。
そのあと映画界に入り、ヒッチコック監督の名作「陽のあたる場所」(1951年)、「裏窓」(1954年)など、多くの映画に出演している。
こうした人が、戦争で負かしたばかりの国で「裏窓」と同じ年に作られた、「ゴジラ」なる名前のモンスター映画の補充撮影に主演し、演技したのだ。
「ゴジラ」というのは、当時初めて耳にした人には、「ゲジラ」みたいなすごくばかばかしい響きだろう。
この映画が世界中でヒットするというのは、むろん後日わかることである。日本のモンスター映画なんて、米国ではコケる可能性も大きい。
小さな映画会社(全部で3本しか映画を作らなかったようだ)の制作だし、このような種類の芝居など、投げやりにやってもおかしくない。
虚空の「何か」を見つめて表情を作るだけでなく、人間と会話するシーンさえ、相手は素人だらけなのだ。
しかし、バーはどのシーンでも、派手なアクションがはないが、しっかりした芝居をしている。
ゴジラが東京を破壊するさまを、脂汗を浮かべつつマイクをもって実況描写したり(視線の先には、ゴジラの代わりに何が置いてあったのだろう? なんとなく知りたい)、ラストでは、重傷を負って腕をつりながら、ゴジラの最期を見つめ続けたり――。
東京に親しい知人(芹沢、恵美子……)がいる設定だから、日本語もかなり口にしている。
先ほど書いた芹沢との電話のシーンでは、「モシモシ、セリザワセンセイデスカ?」と片言の日本語で電話をかけ、芹沢に「スティーブ! 言語学者じゃなくて新聞記者でよかったな」とからかわれ、苦笑いしたりする。
ちなみに、この電話の会話のシーンで、研究室からめったに外へ出ず、日本の新聞記者にひどく冷淡な芹沢が、アメリカ人記者と軽口をたたきつつディナーの約束をしていることをお伝えしても、もはや皆さんはちっとも驚かれないであろう。
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