Site title 1

異文化だと腹は立たないの法則(その2)
(「その1」続き)   1           目次

素人に打たれまくった世界チャンピオン

 目上の人やテレビカメラに向かって話すときの、一貫したタメ口。
 これを行うのに、外国/悪魔界といった「異文化」性で心理的バリアを消すことなく、直球勝負でイバラの道を歩んだのが、ボクシングの亀田3兄弟であった。

 ボクサーが、対戦相手とのたたかいで出血することは珍しくないけれど、彼らは「vs世間」でもすごく出血していた。

 なんぴとも、完全な丸腰でこうした行いはできない。亀田兄弟も、ある種の「キャラ」設定の上には立っていたと思う。
 それは、ボクシング界のあの「ビッグマウス」伝統に沿った、人にヘイコラしない「あらくれボクシング小僧」みたいなもの。

 しかし、これは先ほど書いた諸ケースほど、私たちが「別枠」で見るような居かたではなかった。
 亀田兄弟は、見かけはふつうに日本のおにいちゃんであり、それが年配記者などにタメ口で答える光景は、どうしても反発をかった。

 仮に亀田興毅が、顔にデーモン閣下ふうの白黒メイクをし、「フへハハハハハ……」みたいな悪魔笑いを時々まぜる、タメ口のボクサーだったら、世間からあんなに激しいバッシングは受けなかっただろう。

 もちろん、「悪魔」というのは特殊設定すぎる。これは、前の話の慣性のようなもので書いたにすぎない。
 しかし、プロレス界にかつて、目のまわりを青に塗った荒々しいレスラーがいたが、ああした微妙な外観のちがいだけでも、こちらにはサッと特別扱いの感覚がわくものである。

 亀田興毅(あるいは3兄弟)は、当初からどうもちょいちょい、傍若無人ボクサーとしては隠すべき、「繊細」「好青年」なとこが見えてた気がする。
 「ごう慢なふりをしても、こっちの目はふし穴じゃねえ。お見通しだ!」と思っていた。

 いまはもう、ずっと「ですます」で話す、「実るほどコウベを垂れる稲穂かな」と描写したら変だが、かなり思慮的で穏やかな存在になっている。もうちょっと悪い奴でいいぞ。

お笑い界で見るパンチ

 本題から少し脱線するけれども、お笑い的な場で、先輩へのタメ口が許容されている特殊なケースとして、「ツッコミ」があるだろう。つっこむという表現どおり、これはかなり、パンチを出すボクサーのありようと似ている。

 ツッコミを、礼をつくして「ですます」形で言ったらおもしろくない。
 これは本質的に、バイオレント感を帯びていなければならないのだ。しばしば、はたく/どつく動作が付加されるのもそのためで、ボケが生み出したフワフワ空気に、荒っぽくケリをつけにいくものなのである。

 かつてコント55号の欽ちゃん(ツッコミ)は、7歳上の坂上二郎(ボケ)を、長い助走つきの跳びげりで吹っ飛ばしていた。憎しみでなく笑いのために。

 どれほど激しいボクシングでも、打撃によって人が宙を飛ぶ光景は見たことがない。
 お客さんを向いた状態で側面をキックされる、あの「反復横飛び」により、二郎さんの寿命は、少なくとも「秒」レベルでは縮んだと思う。

 もともと役割が「ボケ」だから見分けにくいこともあって、表ざたになっていないが、漫才の世界には、そこそこの割合でパンチドランカーがいるはずだ。
 仮に、コント55号のボケとツッコミが逆だったとしたら、欽ちゃんはいま、大学(駒澤大学)に通うことができていたかどうか。


 つっこむときは後輩であってもタメ口でよしということは、バラエティ番組のようなエンタメ世界で、明らかにみなに暗黙了解されているように見える。
 それゆえ、「つねにツッコミ役をするので、つねにタメ口」というヒロミのようなタレントも現れたのだろう。

 しかし、見る人すべてが、「ツッコミ役だからああなのだな」と受けとるわけではない。彼も先輩への接しかたを、けっこう非難されたということを語っていた。

 やはり日本人同士での、後輩から先輩へのタメ口は、その意味がどうという以前に、ぱっと「礼儀知らず」という印象を生むのではないかと思われる。

最初へ 前頁へ  2 3 4 次頁へ