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異文化だと腹は立たないの法則(その1)
(2018/6/29)
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 仏・ルノーが、日産自動車の吸収合併をめざしているといった話で、カルロス・ゴーンという名を、再びしばしばメディアで見聞きする。ゴーンという名前だけど、けっして行きっ放しにならぬ人だ。

 20年ほど前、まだゴーン氏が日産の社長になる以前のこと。日産に勤める知人から、当時の会社の暗い雰囲気を聞いていた。
 「あの大会社が?」とびっくりするような、日々の光熱費のこまかい切りつめかたとか。

 それがゴーン氏が来たとたん、あっという間に……。日本で、巨大メーカーがあれほど短期で鮮やかによみがえった光景は、他に記憶がない。

 ゴーン改革の成功は、むろん第一にこの人の卓越した能力によるだろうが、同時に、氏が会社のなかの既存の人間関係や、日本のムラ的な常識とぜんぜん無縁な存在だった点も大きかったと言われている。
 それゆえ、徹底的なリストラをふくむ大胆な改革が行えた。

 特定の会社にかぎらない話と思うが――。
 同じく、外の人が社長になる場合でも、日本のだれかが来て短期間にすごい勢いでリストラ、コストカットをやったりすれば、「あの社長、日本人なのは外観だけで、心は日本人じゃねえ」みたいな怒りがどうしたってわく。
 同民族としての常識共有の期待が、私たちの心にあるからだ。

 これに対し、ゴーン氏のように外観も心も日本人じゃない人が改革をする場合は、そうした期待が最初からまったくなく、むしろ「来たらえらいことやりよるかもしれん」という予想のほうがあるので、こうした「そりゃあないだろ!」といった感情がわきにくい。

 思ってもみない変更を強いられても、「西洋の人には、ああいう発想、常識なのかもな」「食い下がって、こういう日本流のことを言ったとて、時間のムダだろな」と、わりあいあきらめられる。

 自身のなかであきらめがつき、決せられた方向へエネルギーが向けられるというのは、かなり実質的で重要なことだ。
 たとえ自分自身がリストラされてさえ、感覚の共有を期待するところの日本人社長の場合ほど、後にその社長をぐちぐち恨まない気がする。

 ルノーが望んでいる(というか、フランス政府が強く背を押しているらしい)、日産合併の動きに対し、日産は今までどおりの、独立性の高いアライアンス(提携)という形態を望んでいる。
 ゴーン氏は、かつて両社の独立性を重んじる発言をしていたが、いまちょっと立ち位置がフランス/ルノー側へ揺れているようにも見える。

 日本人としては、「ゴーンさん、あなたの心はもう40%くらい日本人ですよね」みたいなムラ的期待を、どうしても抱くところである。
 将来この問題で、ゴーン氏がくっきりフランス側の立ち位置をとったりしたら、私たちは今やちょっと、氏に腹を立てるだろう。

驚くべき点がいろいろ多すぎる存在

 「違う」ともともと認識している人が、違うことをするぶんには、あまり抵抗を感じない。「差別」のような上下付けとは違う、心のなかでの「別枠」扱いのようなもの。

 私はこの春、レベル格上のメジャーリーグへ新人として行きつつ、「二刀流」というふつうでない居かたが許されてしまった大谷翔平にも、そうした面があるように感じるのだ。

 残念ながら彼は今月、故障で離脱となったが、離脱のとき監督が「投打の重要な二つのパーツを失った」と嘆いたように、能力的には二刀流はしっかり通用したといえよう。

 むろん、このことはすごい。しかし、それ以前に、この特殊な出場スタイルがメジャー世界で許容されたこともすごい。
 彼があちらで実際に力を示す以前に、これは先方のOKを得たのだったが、事はたんに、当人の能力が高い/低いという問題にとどまらないのだ。

 彼が中6日という長い間隔で投げるために、他の先発ピッチャーは全員、ふつうでない登板間隔を強いられる。
 先発の彼らはみな、1年間になるべく多くの勝ち星をあげることを、給料や記録のために当然ねがうけれども、この特殊ローテーションはそれを直に制約するものだ。

 エンゼルスにはアルバート・プホルスという、昨年までの累積本塁打614本というすごい選手が、晩年を迎えつついる。
 このレジェンド(既にそうだ)は、大谷が指名打者に入るゆえ、大ベテランであるのに、押し出されて守備をしなければならなくなった。この疲労は、おそらく打撃のほうへ影響するだろう。

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