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 ジャズが、まずは黒人、次に白人主流の世界であることを考えるなら、女性ピアニスト界での日本人の活躍は、かなり不可思議な状況といえる。

 黒人女性ピアニストのビッグスターがあんまり出ないのは、黒人こそジャズ家元であるために、かえって「これは女がやるもんじゃない。ジャズをやりたきゃシンガーを目指すんだ」的な常識が堅牢なためではないかと思う。
 日本古来の「相撲」で、土俵に女が上がることが禁じられているのと、意味はむろん違うのだが、ならわし感としては近い何か。

 黒人の女の子がピアノを練習してうまくなったとしても、男の一流ドラマーやベーシストは、「ビッグなオレ様が、なんで女性ピアニストの後ろでリズムを作ってやらなきゃいけないわけ? その光景、オレの格が下がるじゃん」みたいに、あまり共演したくない心持があるのではないか。

 ところがそのピアノ席に、ニッポン女性が座るぶんには、別枠感が生じて、抵抗が薄れる。
 日本の女性ピアニストは、あちらの優れたジャズマンとしばしば共演しているが、そこには能力の高さに加え、そうした面もあるのではないか。入りのところに、あちらもこちらも心理的バリアがない。

 上原ひろみのことを、世界の女性ジャズ・ピアニストの「希望の星」であると評している人があった。
 若手、かつこのジャンルでマイナーな女性でありつつ、米・英音楽界のビッグネームで父親くらい年齢が離れたミュージシャンたちと、豪華なトリオを組んでいる。

 自らが書いた曲(きわめて複雑で高難度な曲)を彼らに覚えてもらい、世界をくまなくツアーしている。
 レジェンドたちと共演した様々なトリオのアルバムには、ビルボードのジャズ総合部門で1位になったものも、グラミー賞を受賞したものもあった。

 最初の星であり、最大の星かもしれないのが秋吉敏子である。まだ「敵国」印象が残るころに日本からアメリカに渡り、自らつくった曲を米国ミュージシャンを束ねて演奏して、作曲者、編曲者、ビッグバンドとして現地でナンバーワン評価をつづけた。

 上原ひろみと同世代では山中千尋も、どっちが優れているなどと誰も決せられない存在だろう。日本の女性ジャズ・ピアニストは、全体として強力な駅伝チームみたいな感じである。

 私はここで、先ほどの話と同じことを思い浮かべている。
 このような日本人の活躍も影響して、ジャズで女がピアノを弾くことがごくふつうの光景になってくると、そのことにより、素質はあるに決まっている黒人女性のなかに、どえらいジャズ・ピアニストが出てくるかもしれないという流れである。

女子による蹴りの話も少し

 本場にいると、かえって不利な条件に置かれることがある――ジャズ界に似てそれを感じてならないのが、サッカーの世界である。

 サッカー女子の、世界最強国がどこかといえば、米国、すなわちサッカーが他のスポーツより格段に人気が低い国だ(男子は世界ランキングでトップ20にも入っていない)。

 一方、サッカー王国ブラジルの状況を見ると、女子チームは、弱いとは言わないまでも米国のはるか後塵を拝している。
 日本とブラジルは、男子サッカーでの力の差はまだ非常に大きいが、女子にあっては日本がしばしばブラジルに勝つ。

 欧州のサッカー大国、イタリアの女子サッカーもブラジルと似た状況にある。日本の女子は、栄光のころに比べいま10くらい世界ランキングを落としているけれど、それでもイタリア女子よりはかなり上だ。

 ブラジルやイタリアでは、サッカーが昔から絶対的なスポーツであるゆえ、やはり「これは男がやるもの」という常識感も強く、こうした状況になっているのではなかろうか。
 逆に、日本や米国はそのような固定観念が小さいぶん、女子が心理的抵抗なくサッカーへ入っていき、のびのびやっているのだろう。

 日本や米国が女子サッカーを国際的に盛り上げることに貢献し、それが今度は、王国ブラジルで女子がサッカーへ向かうことを助けるといった、あの構造がここにも存在しそうな気がする。

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