死語の生(その1)
(2017/12/29)
1 2 3 4 5 目次
「ウルトラCって言葉、年配のひとが使うけど、何なの?」と質問している文章を、ネットで見かけた。
「そうか、これはもう一般向けに使えない言葉なのだな」と、平成の年号さえ終わろうとしているなか、思った。
むかし、器械体操のわざの難度が、最高でも「C」だったため、ふつう考えられないような度合いの何かに対し、こういう形容がなされたのだ。
いまや、体操の難度には「H」や「I」まで出現しているので、この「ウルトラC」が死語になっていくことは確実である。
しかし、「ウルトラC死すとも、そのタマシイは死せず」なのだ。
この言葉、もともとは前回の東京オリンピックで、体操の山下治広の超絶わざをアナウンサーが評した言葉だが、それが流行ったのを受け、TBSが「ウルトラQ」という名のテレビ番組をつくった。
QはQuestion(謎)の意味で、「謎を超える謎」みたいな発想だったそうである。
この「ウルトラQ」が好評だったため(私も毎週、テレビにかじりついて観ていた)、2匹目のドジョウねらいで(?)、次には「ウルトラマン」なる番組がつくられた。
「ウルトラC」をウルトラの祖父とする、この巨大ヒーローが、その後どれほど商業的価値をもつ存在になったか、説明の必要はないだろう。
ことしも、2017年型のウルトラマンが、地球――もっぱら日本――を守ってくれているようである。
怪獣もやっつけてほしいが、北朝鮮の核兵器、何とかなりませんかね。
死すとも、死せず
さて、話が急に変わって恐縮であるが(上の話には、のちほどまた戻ります)、かつて「ゾンビ」映画で世界に名をとどろかせた、米国のジョージ・A・ロメロ監督が今年亡くなった。
「ゾンビ」という言葉を聞くと、私はどうも、故・春日八郎の、「♪死んだはずだよお富さん~」という歌声が脳内で鳴ってしまうのだ。
子供の頃この歌詞をきいたとき、そうした意味あい(よみがえり)に受けとれてしまったためである。歌声は明るいのだが。
春日八郎のうた「お富さん」は、後に、米国のエボニー・ウェッブというファンク・グループによって、「ディスコお富さん」というタイトルでカバーされた(1977年)。
これがわが国でヒットした翌年に、ロメロの大ヒット映画「ゾンビ」は作られている。
もっとも、両者の間に別に関係はない(「死んだはずだよ」という点を除けば)。
しかし、ゾンビというホラー・キャラクターを全世界で決定的に有名にしたのは、何といっても後年の「あれ」だ。これこそ、とてつもないお富さんを生んだ出来事でもある。
映画「ゾンビ」封切りの4年後、「ディスコお富さん」とは売上枚数が2ケタもちがう、空前絶後のヒットレコードが出現する。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」である。レコード/CDの歴史上、1位の売上枚数(なんと6,500万枚)を誇るモンスター・アルバムだ。
そのままアルバムのタイトルにもされた、収録曲「スリラー」は、死者が多数よみがえって襲ってくる様子を描いた曲である。
映画なみにお金をかけた、長いプロモーションビデオ(PV)では、夜ふけの墓地を歩くマイケルの前に、死者が次々に出現。ついにはマイケル自身が(噛まれて?)ゾンビと化し、みなで整然とダンスしてみせた。
明らかにロメロ映画のヒットが影響した作品である。
このマイケル・ジャクソン大旋風に関して、当時メディアで語られていた話に、米国の代表的な音楽専門チャンネルMTVが、それまで黒人アーティストのPVをかたくなに流さないでいたけれども、このアルバム中の曲「ビリー・ジーン」によって、ついにその壁が破られたというものがあった。
のちに、これは正確ではなかったいう話も聞いた。しかし、あのころ、アメリカからは、まだ根強い黒人差別をうかがわせる出来事がいろいろ伝わってきたのは事実であった。
日本と米国の1964年
じつは、ロメロのゾンビものは、ホラー映画でありつつ、こうした黒人差別の問題にきわめて関係がふかい作品なのである。
「1964年」という年は、日本と米国で、まるでちがう意味合いで明確に記憶されている年だ。
日本人にとって、これは何といっても、東京オリンピックが開かれた年である。
この年の前後の生まれで、いま50代くらいの女性には、「聖子」(あるいは聖〇)という名前がとても多い。
日本初&アジア初のオリンピックが、やはりとてつもないビッグ・イベントだったことを表している。
最初へ 1 2 3 4 5 次頁へ