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10年の時をへて変わった種々のこと

 ロメロのソンビ映画第2作は、初作の10年後(1978年)につくられている。この作品には、初作上映やキング牧師の暗殺から、10年という時がすぎた思いを、ロメロがストーリーにこめている部分があると考える。

 ゾンビ映画でそのような点に注目することは普通でないだろう。しかし、同時代のロックやフォーク同様、これは「娯楽性」と若い世代からの「抗議」を共存させている作品なので書いてみたい。

 黒人の主役が、ヒロインを守るという物語の設定は、この映画でも継承されている。
 しかし、私がちょっと感動をおぼえたのはラストシーンである。

 ゾンビに追いつめられた主人公は、拳銃を自分の頭に向け、自殺しようとする。物語は今回も、黒人主役の死によって幕を閉じるのか?

 ところが、そんな姿があえて描かれたのち、彼は自殺を思いとどまり、ふたたび戦って、最後はヒロインと共にヘリで脱出するのである。
 もはや時代は10年前とは違うのだ、前へ進んでいるのだというロメロの「主張」のように私は思った。

 彼は初め、第2作でも黒人が死ぬラストを考えていたが、撮影に入る前に考え直したようである。
 主役が単に生きのびるのではなく、いちど拳銃を頭に当てたのち思いとどまる描写には、メッセージがこめられていよう。

 先述のように、初作ではヒロインや子供が、いずれもそうとう悲惨な末路をたどる。
 悪意満載というか、俺たちはとことん、従来の映画の良識とケンカしたるぞという感じだ。

 ところが、第2作ではヒロインが助かる――だけでなく、わざわざお腹に子供がいるという設定の下で、両方が助かる。
 ロメロは、初作をふりかえって、いくぶんやりすぎたと感じたのかもしれない。2作めで、毒消しをしているような印象を受ける。

 10年は、40年の1/4だけれど、「ひと昔」でもある。この第2作が撮られた6年ほど前に、ロメロには子供が生まれていたりするのだった。

 むかし推理作家の赤川次郎が、若いころは作品中で簡単に人を死なせていたけれど、子供ができてから、作り話であっても抵抗を覚えるようになったと話していたのを思い出す。

大量消費と、病んだ社会

 あとの話とも関係するので、次のこともちょっと書いておきたい。

 ロメロは、ゾンビという存在によって、当時のアメリカをおおうさまざまな脅威や危機を、代理的に表現しようともしていたという。

 その一つは、ベトナム戦争で精神を病み、アメリカへ帰国してもまともな生活が送れなくなっていた、大ぜいの人たちである(映画のスタッフにもそうした人物がふくまれている)。
 他方、そうした深刻な問題をかかえながら、物質的にはどんどん豊かさを増していくアメリカ社会。

 1978年に撮られた、上記の第2作は、そんな明と暗の対比を皮肉った作品でもある。

 映画の舞台は、キラキラした商品にあふれた巨大なショッピングモールだ。人々が逃げ去り、無人化しているその店舗に入った主人公たちは、ゾンビの大群に包囲される。

 そんな危機の下で、彼らがモールの豊かな商品を手にとり、はしゃぐ姿が描かれる。
 高級時計を選んだり、ドレスを選んだり、食べ物をぜいたくに食べたり、店内のスケート場でスケートまで楽しんだり……。

 ゾンビに足を噛まれ、負傷している男が、似合うかなと帽子を手にとっているシーンには笑ってしまう。ゾンビに噛まれると、やがて当人もゾンビと化してしまうことを、彼自身よくわかっているのに。

 病んでいながら、物欲に目をギラギラさせている社会を、凝縮的に描写したシーンである。

 消費文化の爛熟を皮肉ったこの映画の4年後に、ゾンビをたくみにエンタメ消化したアルバム「スリラー」が、大量売上の世界記録を更新していくさまは、映画の描写の延長のようであった。

ふしぎな日米同志の共鳴?

 上述のようにロメロの初期2作品には、米国のベトナム戦争が濃い影を落としている。
 そうしたことを始めた大人たちや体制に対する、若い世代としての抗議の思いがあったとスタッフが語っている。

 そのような観点で見ると、ロメロの1968年の初作には、ちょっとおもしろい点がある。

 この映画は次のような展開をもっている。

 主人公たちは、ある家にたてこもり、入口に内側からバリケードを築く。ソンビたちが、家を取り囲む。

 家の上階の窓から、人間がゾンビたちに火炎びんを次々に投げ、威嚇する。周囲が火の海になり、遠ざかるゾンビたち。

 内部では、今後の方針をめぐって仲間割れが起きたりする。最後は、バリケードが破られて多量のゾンビに侵入され、万事休すとなる。

 この展開は、この映画の封切り(1968年10月)の、ほんの3ヶ月後に日本で起きた、東大安田講堂攻防戦にそっくりなのである。講堂を包囲した機動隊の方々を、ゾンビと重ね合わせては申しわけないのだが。

 米国が始めたベトナム戦争は日本の学生運動でも強く非難されていた。
 そうした意味でこれは、偶然ながら日米の若者が、海をこえてふしぎに共鳴していた出来事に映るのである。

 ロメロの映画は、当時日本では封切られなかったのだが、もし上映されていたら、同じことを感じた人は大ぜいいただろう。
 時期といい(安田講堂攻防戦のとき、たぶん米国では上映が続いていた)、視覚的な展開といい、その背後にある精神といい、符合が何だかおもしろく思われたのでちょっと書いてみた。

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