一方、米国でこの年は、地球の裏で開かれた1回のオリンピックより、はるかに重大なできごとによって記憶されている。
これは、人種差別がついに法的に撤廃された、「公民権法」制定の年なのである。
前の東京オリンピックの年まで、人種差別がアメリカで法律上、まだ正当であったことにちょっと驚く。
ちなみに、マイケル・ジャクソンが「ジャクソン5」に入ってデビューしたのは、差別が撤廃される1年前、1963年のことだ。
彼はデビュー時まで、むろん子供の頃だけれど、黒人差別が法的にOKだった時代を生きた人なのである。
この1964年は、「公民権法」の制定に大きく貢献した、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が、史上最年少でノーベル平和賞を受賞した年でもある。
しかし、キング牧師はその4年後、1968年に白人に撃たれ、暗殺されてしまう。
ロメロのゾンビ映画の初作は、この1968年に公開されている。別に、この事件の影響で作られた映画ではないのだが、そこには1964年~1968年のこうした米国の空気が濃厚にただよっている。
ロメロは父親がキューバ系、母親が旧ロシア系という血筋で、外見も、一般的な白人とは違いがある。米国の中核をなすWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)に対し、彼自身、マイノリティ感覚はあったのではないかと思う。
映画初作のタイトルは、「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド(生きている死者の夜)」(当時は、まだ「ゾンビ」という言葉は作品中で使われていなかった)。
この映画で、ヒーロー的主役にすえられているのは、黒人男性である。彼が、白人ゾンビの大群からヒロインを守るといった話の流れだ。
伝統的なハリウッド映画に対し、「あんたらいつも、悪とたたかう英雄といったら、白人の男しか発想にないよな」と、映画の設定じたいで皮肉っている感じ。
ゾンビだけでなく、人間側の白人たちさえ、この黒人主役よりみな弱々しかったり、悪人だったりに描かれている。当時の白人観客のなかには、不快感を覚えた人も少なからずいたであろう。
こうした人物設定は、大ヒットした第2作「ゾンビ」(マイケルの「スリラー」の4年前の作品)へもそのまま受けつがれている。
初作に主演した黒人俳優は、キング牧師の暗殺がまさに起きるような時代のことゆえ、こんな役柄を演じることに身の危険を感じていたそうだ。
何しろストーリー中で、彼は白人ゾンビだけでなく、人間の白人まで撃ち殺すのである。
この映画では、ゾンビたちとの戦いをへて、主役の黒人だけが生き残る。しかし、彼は最後に、白人の人間たちの誤解によって射殺されてしまう。
黒人俳優自身が、このエンディングを強く要望したという。想像だが、上のような展開の末に、黒人主役が生き残るという終わりかたをすると、ほんとうに、ある種の白人観客を刺激しかねないと心配したためではないだろうか。
この作品は、ほかにも社会倫理的に、いろいろ反逆的な内容をもっている。
アメリカの当時の怒れる若者――後述のように政府が始めたベトナム戦争への怒りなどもふくんでいる――として、作り手が、反「既成秩序」的なことを考えつくかぎり映画に入れたという感じだ。
ヒロインは、救われるふつうのヒロインだろうと思って観ていると、イジワルな伏線との連関で、最後にあっさり死んでしまう。
子役に演じさせているホラーな行為(ゾンビとしての)は、日本だったら、親が「うちの子になんてことさせるんです!」と絶対ダメ出しするレベルだ。
こんな映画が上映されて、あの子のその後の学校ライフや人生は大丈夫なのかと心配になる。
昭和ニッポンの家庭崩壊ドラマ&実話、「積木くずし」みたいな展開へ落ちていったかもしれない。
私がスタッフの一員だったら、少なくともあれは断固止める。
作品も、不滅の存在に
この超低予算ホラー映画――白人の出演者はぜんぶシロウト――が、米国でどれほど高い評価を受けているか。それは、次の事実に示されている。
米国では、「文化的、歴史的、芸術的」に重要と認められた、限られた数のフィルムが、「国立フィルム保存法」によって永久登録される。
ロメロの上記の初作は、ここに登録されているのだ。
他に登録されている1968年の映画は、「2001年宇宙の旅」「猿の惑星(初作)」といった、ウルトラ級の名作である。
これら三つの映画は、「人間と、とんでもないものとの遭遇を描いている」共通性をもっているが、「2001年宇宙の旅」と「猿の惑星」の製作費は、それぞれ約1千万ドル、6百万ドル。
これに対し、モノクロ16ミリフィルムで撮ったロメロ映画の製作費は、約10万ドル(←カンパ映画)。すなわち、1/100レベルだ。
この巨大なハンディをものともせず、米国が未来へ永遠に残すべき映画として、登録簿で名をならべているのである。
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