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国際スター・ゴジラが足を向けて寝られない恩人(その3)
(「その2」続き)   1           目次

古のハリウッドはゴジラの反・水爆メッセージに冷淡だったか

 しかし、この最初の子供のほうは、ほんとうに娯楽志向オンリーで、親がもつ真摯なメッセージをまったく受け継がない子供だったのだろうか?

 「怪獣王ゴジラ」は、日本では一般に、元の映画の反・水爆メッセージをいっさい取り除いてしまった映画であると解説され、そのことで非難・軽視されている。

 しかし、私が実際にこの映画を見て意外だったのは、怪物ゴジラが「水爆実験のせいで」地上に現れてくるという話が、国会議事堂の公聴会のシーンでちゃんと語られていることであった。

 ゴジラのことを説明する山根博士(むろん吹き替え英語)が、ゴジラの足跡から「水爆から発生するストロンチウム90」が見つかり、怪物ゴジラは「度重なる水爆実験の所産である」と、はっきり言っている。「H-bomb(水素爆弾)」という単語が2回も口にされる。

 前にも書いたように、この「怪獣王ゴジラ」は元来、ゴジラ第一作の設定を自らの都合で変えることを、みじんも躊躇しない映画である。

 私がびっくりした改変の例を、ここで一つ付け加えるなら、この「怪獣王ゴジラ」にあって、恵美子は「わたくし、お父様にだって絶対申しませんわ」ときっぱり誓った芹沢の例の秘密を、恋人尾形だけでなく、なんとバー演じる米国人記者スティーブにまで打ち明けたことになっている。彼女は、芹沢に面と向かってそのことを謝る。

 この直前に、スティーブは恵美子(実際は代役の背中)に、「オキシジェン~」の件で芹沢を説得するよう勧めていて、それによりゴジラ問題解決に寄与するのだ。

 「あなただから見せた(💛)」芹沢にしたら、これは暴れたくなるような出来事だし、異国の新聞記者よりさらに軽視されたお父様も、いい面の皮だ。ここの設定は、元映画の人間ドラマのすごく大切なところなのに……。

 かようにこの映画では、言葉を英語に吹き替えるのをいいことに、映画の絵づらと矛盾しないかぎり、内容の改変は何でもありなのだ。

 ゴジラが水爆実験によって出現したという設定にしても、海底の地殻変動によって出現したとか何とか、簡単に変えることができる。

 戦後間もない時期にあって、これはただでさえ上映に不安のある日本の映画だ。アメリカの水爆実験がビキニ環礁で第五福竜丸を被爆させたのは、この直前、1954年(日本でのゴジラの上映年)のことである。

 日本映画の、ゴジラが「度重なる水爆実験の所産」だなどという危ないセリフは、真っ先に削除してもよさそうに思われる。

 山根博士がゴジラについて国会議員たちに解説するこのくだりに、Jewell Enterprisesというアメリカの制作者はかなり手を加え、時間を短縮している。

 どんなシーンがそこで落とされたか? それはたとえば、「ゴジラの足跡から発見された三葉虫が、二百万年前に絶滅したと信じられている甲殻類の一種である」とか、「そこから出てきた岩滓が、ジュラ紀の特色を示すビフロカタス層の赤粘土に含まれているものである」といった、学術的説明が長く続く部分である。

 あるいは、山根の話を聞いた与党議員と野党議員の言い争いだとか、ムダではないものの、エンターテイメント的にはややカッタルイ部分なのだ。そうした部分をバサバサ除去する一方で、水爆という言葉はちゃんと英語化し、残している。

 なぜだろう?

 その後、たぶんその理由の、少なくとも一部ではありそうな、ハリウッド映画の存在を知った。

 「水爆実験が原因で恐竜が地上に現れてくる」という設定の映画が、ほかならぬアメリカで、すでにゴジラ第一作以前に作られていたのである。「原子怪獣現わる」(1953年)という映画だ。

 この映画は翌年のゴジラ第一作に――さらにはガメラ第一作にも――種々の点で影響を与えている。

 実のところこの影響は、後述のように非常に大きく、ゴジラ第一作が、日本が当時のアメリカから受けた「正」と「負」の二つの影響の間に生まれた子供にさえ思えるほどだ。すなわち、この映画と、日本船の被爆事故である。

 その2年後にすぐまた、この子供とアメリカ映画界の間に、「怪獣王ゴジラ」という孫が生まれたわけなのだが。

 「原子怪獣現わる」の制作者は、レイ・ブラッドベリの元小説の詩情あふれる設定――恐竜が灯台の霧笛を仲間の鳴き声だと思って現れる(仲間がいないのでがっかりして灯台を壊す)――を変更し、水爆実験ゆえに出現するという設定にしている。

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