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 いちばんの荒わざで、私が初見でまんまとだまされたのは、芹沢が右眼に眼帯をしている(映画の設定では米国との戦争による負傷!)ことをチャッカリ利用し、あちらで別のアジア人に眼帯をさせて大胆に「横顔」を撮って、バーと電話で会話をさせているシーンである。

 元映画の俳優、平田昭彦(わりと鼻に特徴あり)の顔をよく知っている私さえ、別人であることに初め全然気づかなかった。
 芹沢の研究室の、フラスコなんかを立てている細い棒を、絶妙の位置関係で鼻元にかぶせて、うまくごまかしているのである。芸がやたらコマカイ。

 芹沢が来客の呼び鈴を聞いてイスを立つ映像を、電話のベルを聞いて立つ場面に見せかけているため、もともと電話に出るシーンがあったかのように錯覚してしまう。粗製映画だなんて言い方、撤回した方がいいかな。

 ゴジラ第一作と「怪獣王ゴジラ」を、私は割とじっくり比較して見たのであるが、「ここは日本人には意味があるが外国人には退屈だろう」という部分は、みごとにすべてカットしたり、ナレーションを使って圧縮したりしている。

 他国人の客観的な目による――しかも、娯楽の手練れであるアメリカの映画人による――元映画の部分削除&補足は、映画が国際市場へ出ていく上では、時に最良の結果をもたらす。

 彼らがここで行っている変更は、さしさわりのある部分を除くというより、むしろ純娯楽的な視点でのエッセンス抽出になっているというのが、私の(意外だったが)率直な印象である。

 ここには、ほんの10年前まで戦火を交えていた日米の得意領域の、ふしぎに幸福なコンビネーションが見られるのである。

 「怪獣王ゴジラ」を観て一つ思い出したのは、1990年代にアメリカでとてつもなく成功し、日本までその過熱ぶりがニュース報道されていたテレビ番組、「パワーレンジャー」である。

 その受けっぷりは、アメリカの政治家が自分の演説会にパワーレンジャーを呼び、人気取りをするほどだったという(日本ではちょっと考えられない話だ)。

 この番組は、日本のいわゆる「戦隊ヒーローもの」(○○レンジャー)の特撮部分だけを使い、人物のシーンはアメリカの俳優たちで別にドラマを作り、合体させたというものだ。

 「日本の特撮映像」+「ご当地の人を使ったドラマ」というのは、ひとつ黄金図式であるということだろう。現地でさしつかえがある部分や、文化的に通じにくいところをうまく取り除けるわけだが、「怪獣王ゴジラ」はその嚆矢になっているといえる。

 「怪獣王ゴジラ」の英語版Wikipediaには、次のような記述がある(この映画への、日本人の不快感を如実に反映して、この映画には単独の日本語Wikiなどない!)。

 「日本国外のほとんどの観客を、初めてゴジラに触れさせたのは、オリジナルゴジラ映画の、このバージョンであった」

 米国のみならず、日本以外の世界の国々を席巻したゴジラは、日本のあのゴジラ第一作ではなく、この「怪獣王ゴジラ」だったのである。

 「怪獣王ゴジラ」の上映国はなんと50ヶ国に達したという。これこそ、今回の米版ゴジラが世界61ヶ国(10月現在では63ヶ国?)で週末興収No. 1を獲った、そもそもの土台といえよう。

 「怪獣王ゴジラ」は、ゴジラの海外展開に貢献したばかりではない。
 1954年のゴジラ第一作は、日本にあってお客さんはたくさん入ったものの、メディアからの評価はボロクソであったという。いろいろな要素を入れ過ぎというのが、非難の理由の一つであった。

 ところが、映画が海外でヒットしたという知らせが伝わってきたとたん、国内でも急に、皆がほめ出したそうである(これも時代をこえて目にする図式だなあ)。

 「怪獣王ゴジラ」は、実は日本におけるオリジナルゴジラの評価・地位さえ、押し上げたのである。

 思うに、1954年の原初のゴジラは、遠くアメリカの大地で、ふしぎな子供を二人生んだのだ。兄弟の年齢は、なんと58年も離れているのだが……。

 1956年に生んだほうは、見かけは時々びっくりするほど親そっくりだけれど、真面目なところはあまり受け継いでいない。2014年に生んだほうは、すさまじい巨体で見かけは親に似ていないが、精神的なものはストレートに受け継いでいる。

 二人は互いに全然似ていないものの、どちらも結果として、たいへん親孝行なのであった。

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