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 当時の米国の人々の多くは、核兵器の開発を、喜ばしいとは言えないものの必要と考えていただろうと思う。

 核兵器は恐ろしいが、こちらと価値観をまるで共有しない敵国が、核で完全優位に立つのも恐ろしい(たとえば社会主義国ソ連は、米国に1年先んじ、1953年に水爆開発に成功したことを発表している)。

 しかし、一方、身近な土地の大気圏で次々になされていた核実験については、「何だか心配だなあ」「予想外らしい出来事が、いろいろ漏れ伝わってくるよなあ」等々の思いもまた、あったのではなかろうか。

 これはむろん後年であるが、アメリカの国立癌研究所が、この実験で発生したヨウ素131(放射能汚染の主要核種)が風に乗り、アメリカの国土の半分以上に相当な濃度でばら撒かれた様子をマップで示している。

 当時ハリウッドで生活していた人々にとって、「もし核実験が続けて行われたら、ゴジラの同類がまた現れてくるかもしれない」というラストの山根の警句は、日本人とは違った意味でひりひりとした感覚をもたらすものであったかもしれないのである。

 これらの映画が作られた時期から、60年という年月が経過している。原爆が投下された年からは、約70年だ。

 いまや、広島の平和記念館を訪れるアメリカ人のなかに、原爆投下の決定に影響を及ぼせた年齢の人(少なくとも90歳以上だろう)は、まずいない。それでも、彼らの日本滞在記などを読むと、平和記念館では罪悪感を覚えずにいられなかったといった感想が記してあったりする。

 逆に私たちは、たとえ原爆の被害を受けようもなかった世代でも、記念館を歩いている西洋人がアメリカ人とわかると、「君たちがどんなことをやったか、しっかり見ていけよ」などと感じてしまう。

 アメリカ人でありながら、時間を割いてわざわざあの場所を訪れるような人は、とりわけ善良である可能性が高いのだが……。

 60年前の映画群に感じた、「あちらとこちら、そんなに違っているのだろうか」ということを、私は実は今年の作品でも感じた。

 2014年版ゴジラについてのエドワーズ監督のインタビュー記事を読んで、「へえ、そこまでやるのか」と驚いたことがある。

 先述のようにこの作品では、アメリカ映画が「広島原爆による停止時計」といった話をあえて物語に含めることをしているわけだが、スタッフは脚本の段階でなんと米軍にその点を伝え、彼らの了解をとりつけていたという。

 ハリウッドの地でこうした内容を入れようとした英国人エドワーズもすごいが、「そんなシーンは娯楽映画に不要だ」と却下せずに(すればいろいろラクだ)、米軍に話して承認を得た制作者もすごいといえる。

 結果としてこの作品は、承認のみならず、軍の協力さえ得ることができたそうである。

 また、広島の歴史を語る場面では、エドワーズは軍人を演じるハリウッド俳優たちと、後悔の念が感じられるようなシーンにしようと確認しあったという。

 私がこれを読んでふと考えたのは、「もし立場が逆だったら日本でもこうした出来事が起きるだろうか?(昔まさに自国の軍がなした行いについて)」ということであった。

 「日本じゃ、そんなこと起きないだろう」と言いたいのではない。もっと単純に、「逆ならどうだろう?」と思ったのだ。

 日本人なら、そもそも他国にぜったい原爆など落とさなかった――というふうには、私にはどうも感じられないのである。

 当時、日本の科学技術が十分に進んでいて、身近な人々・同朋に死者を増やさず戦争にケリをつけたいと思い、原爆があのような惨状をもたらすという視覚的イメージもまるでなければ(もともと、通常兵器でも「殺し合い」という最悪のことをしているのが戦争という場である)、逆の可能性もあったのではないか。

初代ゴジラが生んだ別のハリウッド大作?

 シリアスな話にあまりふかく踏み込むことはこの文章の本旨ではないので、話を「怪獣王ゴジラ」の娯楽部分に戻すことにする(内容がこのように混沌とした構成になるのは、ゴジラという元映画に原因がある)。
 山根博士の、この国会説明のシーンで思った別のことを一つ。

 「怪獣王ゴジラ」を観たアメリカの有名人の一人に、スティーブン・スピルバーグがいる。彼は子供の頃にこの映画を見て、ゴジラの動きの滑らかさにびっくりしたという。

 それ以前の、「キングコング」「原子怪獣現わる」などは基本的に初期のコマ撮り(ストップモーション・アニメーション)で、動きがどうしてもカクカクしている。

 しかし、ゴジラ第一作の場合、スーツアクターの超人的ながんばりにより、あたかも実際にこんな生き物がいるかのようなのである。

 「怪獣王ゴジラ」で山根博士がゴジラについて解説するシーンを見ていて、あれっと思ったのは、そこに「ジュラシック・エイジ」という言葉が出てきたことである。恐竜が生きていた地質年代のことで、元の日本映画では「ジュラ紀」だ。

 スピルバーグは1946年の生まれだから、この映画が公開された1956年には10歳くらい。
 「ジュラシック・エイジ」などという難しい専門用語は、この映画で初めて耳にした可能性があると思う。
 ちなみに、「原子怪獣現わる」にこの言葉は出てこない(代わりに「メゾゾイック・エイジ」、中生代という言葉が使われている)。

 彼は後年、恐竜をテーマにした革命的映像の大ヒット映画を作る。「ジュラシック・パーク」(1993年)である。

 スピルバーグは、ゴジラの生々しい動きを子供のとき見た驚きが心に残っていて、それと同じような映像進化ジャンプを自分もまたやろうとしたのではないか――そんなことを想像したのであった。

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