この1953年のアメリカ映画に、水爆実験を否定するような言葉はもちろん含まれていない。しかし、映画の冒頭で、水爆の実験者たちは次のような会話を交わす。
「実験を1回するたびに、新しい創世記(聖書の創造の物語)の最初の章を書く助けをしている気がするよ」
「古い創世記の、最後の章を書いていることにならないといいんだけどね」
「怖がっているみたいに聞こえるぞ、トム」
「怖がっていないと、どうしたら思えるんだよ?」
皮肉なことに、「新しい創世記の最初の章を書く助けをしている気がする」と言ったリッチーという男が、すぐさま恐竜の最初の被害者となって死ぬ。
この脚本には、水爆実験に対する作り手の「感覚」を感じずにはおれない。
一方、水爆を怖がっているこのトムという科学者が、映画の主人公だ。彼は、ラストでは大きなラジオアイソトープ弾をかかえ、もう一人の男とジェットコースターのてっぺんまで登り、命がけで恐竜を倒す。
この科学者は、武器「オキシジェン~」をかかえて海に潜った、芹沢博士の原型といえよう。怪物退治に向かった方向が、「上へ」と「下へ」で反転しているけれども。
他にもゴジラ第一作に影響しただろう部分は、恐竜の外観をはじめとして、
①海中に潜った科学者と潜水のプロが上と通話機で話しつつ恐竜を見るシーン
②恐竜が高圧電線にふれて火花が出るシーン
③海中から恐竜が現れて船を転覆さすシーン
④恐竜が「タワー」を壊すシーン
⑤山根博士にあたる恐竜の専門家
⑥そのもとにいる美しいヒロインと主人公の間のうっすらしたロマンス
⑦ずらり寝かされた「被害者」をカメラが横になめていく映像(!)
など、いろいろ出てくる。
あたかも家電製品や自動車のように、日本は西洋に既にあったものを細かな工夫で進化させ、逆にそれを西洋へ送り出したのだと思う。
自動車といえば、原子怪獣が車を口でくわえるシーンが、ゴジラでは車でなく電車になっている(米・日、車社会と電車社会の違い?)。
ゴジラ第一作は単独で発案されたというより、「原子怪獣現わる」を出発点にして、ここは日本ふうに変化させ、ここには別の要素を足してふくらまし、この人物は生還せず命を落とすことにする……といった経路で構築されたのではないだろうか。
「原子怪獣現わる」の、水爆実験のせいで恐竜が地上に現れるという設定も、もちろんその一つで……。
「原子怪獣現わる」「ゴジラ」「怪獣王ゴジラ」という、1953~1956年に作られた3本の日米映画(その日米比率は1.5対1.5というべきか)を並べて見て、私は次のようなことも感じるようになった。
核兵器にかかわる事柄になると、私たちは日本と米国の人々を、被害者⇔加害者ときっぱり二分してとらえがちだ。
けれども、核の実際の使用に対する感覚は、日米で、とりわけ一般の人々にあって、本当にそんなに隔たっていたのだろうか?
上記の3本の映画に祖父-父-子を思わせる血脈が見てとれるのは、はたして娯楽的要素においてだけなのだろうか?
ひとつ、疑いを抱いていることがある。
それは「原子怪獣現わる」という前例などから「水爆実験が原因であって問題なし」という以上に、ゴジラ第一作の設定を「怪獣王ゴジラ」にあえて少しは残したい心持ちが、もしかすると「当時のハリウッド」の人々にはあったのではないかということである。
もちろん実験をあからさまに非難するラストの山根の言葉などは、除去せずにおけないにしても――。
アメリカが行った原水爆実験というと、私たちにはビキニ環礁(日本・ハワイ・オーストラリアの真ん中あたりに位置)での日本船被爆の話がまず思い起こされ、アメリカは核実験を、ずるくも自国に被害が及ばない場所でやっていたかのような印象がある。
しかし、アメリカが核実験を最も活発に行っていた場所は、実は自らの国土の上、ネバダ州の核実験場であった。
ここでの実験は1951年に開始され、大気圏内での核実験は1962年まで続けられた(地下核実験はそのあとも継続)。この実験期間に注目いただきたい。
ついでながら、ハリウッドがあるカリフォルニア州は、ネバダ州のすぐお隣である。
これらの実験は、当然ながら、核兵器の威力や影響範囲を正確に予測できないからこそ行われた。
日本船の被爆(アメリカが設定した危険水域外の被爆)も、まさにそれゆえ起きたわけだが、ネバダ州の実験場でも、同様に予想外の出来事がいろいろ生じていた。
最後は地上に巨大な断層が発生してしまい、これはいかんと本土実験が終結されたほどである。
「怪獣王ゴジラ」が上映された1956年ごろ、たとえば1957年にも、8kmも離れた所に浮かべておいた軍の飛行船が、爆発の衝撃波で壊れ、地へ落下するという事故が起きている。
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