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 もちろん球団は、大谷という逸材を何とか得るため、「二刀流、認めるよ」という異例の譲歩をするかもしれない。

 しかし、新人へのそうした特別あつかいは、不利な影響を実際にこうむるメジャーの先輩たちの、不平のタネになっておかしくない。
 いくら力はあっても、レベルが下のリーグから来た23歳の青年なのだ。開幕までは、投打とも不振であったし。

 ところが、テレビというのは人の微妙な表情をとらえ、真実をかなり映し出してしまうものだけれど、大谷クンはどう見ても、ベンチで先輩たちにかわいがられている。

 プホルスに加え、エンゼルスにはマイク・トラウトという、ことしの年俸がメジャーリーグNo.1というスーパースターがいる。

 その年俸は3410万ドル(約37億8400万円)。これは日本だと、一つの球団の所属選手「総年俸」くらいの金額だ。
 プホルスも、年齢的にだいぶ成績が落ちているとはいえ2700万ドルくらい。

 プホルス、トラウト、大谷の3者の関係は、引退まぎわのレジェンド長嶋茂雄と、そのころ三冠王をとったりした王貞治と、初めて一軍へ上がった若手の関係に、同じとまではいわないが近い。

 しかし、開幕のころテレビがベンチの様子を映すと、大谷はプホルス/トラウトと、かなり横並びの空気感で、「いやあ、アハハ」「それグッドですね」みたいな交流をしていた。

 アメリカ社会だからフランクなのだろうと考えるのはまちがっている。

 むかし日本のプロ野球選手が語っていたが、同じくアメリカから日本に来たいわゆる「助っ人」選手でも、マイナーリーグ経験しかない選手は、メジャー経験のある選手に、「直立不動」「イエス・サー」みたいな接し方をするという。
 これが、メジャーに少し居たことがあるどころか、メジャー頂点クラスの選手となれば……。

 よく考えれば異常であるのに、なぜ大谷翔平はあのようにスッと受け入れられてしまったのか。
 それは、本人のキャラクターに加え、よい意味で彼が、あちらの人から見て「異物」だからだと思う。

 近場で順々に昇格してきたのでなく、地球の裏からポンと来た存在。
 そして、これは米国ファンが言っていたことだが、外観がそもそも一般的なメジャー選手と違っている。

 俳優のようにほっそりしているのに(あちらの基準では)、チームの他選手より打球を飛ばす。メジャー・ムラの目で見たとき、ちょっと魔法使いみたいなのではないか(イチローにもそういう印象があったろう)。

 いちばん上のリーグで、いまどき二刀流をやろうとする常識外れにしても、「日本のことはよく知らないけど、あっちはそういうのを認める文化素地があるのかな」と、「そんなのダメに決まっている」バリアが異文化からの存在には薄れる。

 たしか大谷がホーム球場で初登板し、投げ終えたときだったと思うが、トラウトたちがベンチで、次々に大谷と「日本式のおじぎ」を交わす場面があった。

 そのあと、このシーンをテレビで見た米国のファンが、ツイッターで、「トラウトのおじぎは、深さが足りない。相手に失礼だ」「いや、トラウトは年上だから、あれでいいんだ」といったやりとりをしていた。

 私は「君たちそんなふうでいいのかああ!」と、心のなかで叫ばずにおれなかった。

 たとえば日本で、新人が4月に好投してマウンドを降りてきたところに王貞治(全盛期)が近寄り、相手慣習に合わせたおじぎをしてあげ、なおかつ巨人ファンから「王はおじぎの角度が浅い。相手に失礼だ」と言われている異常光景を想像していただきたい。

 これと同じとは言わないが、近いことがメジャーの世界で起きている。

 私は正直なところ、同胞の大谷クンが敬意を払われている光景を見るのは、気持ちがいいのだ。
 しかし、それとは別に、地球の裏のアメリカンに、「君たち、トラウトのおじぎ角度の妥当性を議論する前に、頭を冷やして、メジャー1の高給取りが新人に歩み寄っておじぎしてるさまに驚け!」とも言いたくなるのである。

 この異常現象を現実化させているキーワードが、「異文化」であろう。

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