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ソンタクが汚れた原因はソンタク(その1)
(2017/11/24)
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 今年、とつぜんたいへんな頻度で使用されるようになった「忖度(そんたく)」という言葉。
 当初はそうでもなかったが、だんだん、「その使いかたは変じゃないの?」と感じる言葉づかいに出くわすようになった。

 ネット空間を見てみたら、やはり多くの人が「変だ」という思いを書きつけていた。当然といえば当然だけれども、シロウト以前に、まずは言葉の専門家たちがそうした声をあげていた。

 たとえば、「三省堂国語辞典」編集委員の飯間浩明氏(国語学者)が、BuzzFeed Newsというメディアのインタビューに答え、次のようなことを語っている。

 三省堂国語辞典による、「忖度」という言葉の説明をまず引用したい。

(相手の気持ちを)おしはかること。推測。「意向を―する」

 すなわち、「忖度」の同義語は、「推測」である。

 辞書の説明に対し、「その通りだ。正しい!」などという感情を抱くことは、生徒が先生の正しさを評するみたいで、どうかと思いつつも――そう、この語はまさに、相手の心を推測する意味だけをもち、それ以上の意味など、まったくないはずだ。

 もし両者に小さな違いがあるとすれば、「忖度」は、相手が弱者の場合もある温かい「推測」に、けっこう使われるという印象が個人的にはある。

 ちなみに広辞苑だと、忖度の同義語は「推察」とされている。もちろん、どちらへ置き換えても正確な話だろう。

 飯間氏によると、「忖」の字も「度」の字も、いずれも意味は「はかる」であり、これは紀元前・中国の「詩経」から使われている由緒ある言葉だそう。

 「忖度」の字の作りは、「推測」が「推す」と「測る」から、あるいは「推察」が「推す」と「察する」から、何やら念押し的に作られているのにそっくりだ。ハカル&ハカルの、きわめてピュアな語。

 飯間氏は「忖度」ということばの日常生活的な使用例として、「母の心を忖度する」「彼の行動の意図を忖度してみた」といった文をあげている。
 手元にある国語辞典は、「彼女の気持ちを忖度しかねる」という例文をのせている。

 当然だけれども、上の文の「忖度」を、同義語の「推測」「推察」へ置き換えても、みな自然な文章となる(この二つの語は、リトマス試験紙みたいなチェックツールになるだろう)。

 さて、そこでことし見聞きすることのあった、「変だなあ」と感じる、忖度入りの文章である。

 たとえば、「これは〇〇省の官僚による忖度ですよ!」、「そこには総理に対する、忖度があったにちがいない」といったコメント。あるいは、「忖度政治だ!」といった非難。
 これらの「忖度」を、たとえば「推測」へ置き換えてみる。すると、

「これは〇〇省の官僚による推測ですよ!」
「そこには総理に対する、推測があったにちがいない」
「推測政治だ!」

 「みんなが実際に言いたいのは、忖度でなく、『斟酌(しんしゃく)』のことではないか」という指摘をしている別の辞書編集者がいて、ヒザを打った。
 「斟酌」というのは、「その時の事情や相手の心情などを十分に考慮して、程よくとりはからうこと」(広辞苑)。

 相手の気持ちを推測(忖度)したあとの、まさに下線の部分こそが、ことし問題にされていたといえよう。
 「斟酌」は手加減する意で使われる場合が多いと思うけれども、忖度よりは言いたいことへずっと近いのではないか。

 「総理はこうしたがっているのかなあ」と推測する、そうした心の動きじたいを非難されたら、周囲の人たちはたいへんだ。休みの日は禅寺へ通って、無念無想になる修行を……。

汚れっちまった悲しみに

 飯間氏は、「『忖度』という言葉が汚れてしまった気もしますね」と、感想を述べている。

 忖度は、「もっと人の心を忖度しなさい」と誰かを諭すとき使うような、「清い」推測でもあった。しかし、「おべっか、へつらい」的な、「上の者に気に入られようとして、その意向を推測する」意味合いが、とつぜん強烈にまとわりついてしまった。

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