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 のちに自身が語っているところによると、山崎ハコのデビューのきっかけは、学校の友だちが「出なよ」と熱心にすすめ、手続きまで親切にやってくれたので参加した、ローカルなコンテストだったという。

 電器店のショールームで開かれたというから、集客を目的にした販促「のど自慢イベント」みたいなものではないか。
 そこで、この「影が見えない」を歌ったところ、優勝はできなかったが「特別賞」というのをもらい、賞品は「小さなお人形」だったという。

 電器屋さんでの催しだから、審査員も、素人に毛が生えたくらいの人達だったのではなかろうか。

 とっても小柄な女子高生が、はにかみがちにギターを手に登場し(プロになったあとのライブの様子から絵を想像)、おっ可愛い出場者が出てきたと皆ホホをゆるめたのち、あの豊かな声量で「影が見えない」が歌われたときは、審査員たまげたと思うなぁ。いろいろ、ギャップが大きすぎて。

「どひゃあ、ローカルな、のど自慢イベントに、ものすごい子が出てきちゃったよお~」

「私も、どぎも抜かれましたよ。
 でも、すごいはすごいんだけど、女子高生が、死ぬことばかり考えてるなんていう歌を、まちの電器屋さんの素人コンテストで優勝さすわけには……」

「そりゃそうだ。商いの催しだから、縁起も大切だ。
 しかし、自作だという曲にしても、歌唱力にしても、あの子、並の才能じゃないぞ。あれを完全に無視するってのは……」

「私も、何も賞をあげず帰しちゃうってのは、ナシだと思うなあ」

 たとえばそんなやりとりを経て、山崎さんには「特別賞」授与、賞品は、(女の子だからあわててどこかから探してきた)「お人形」となったのじゃないだろうか。

 「特別賞」というのが、もし最初から用意していた賞だったら、おっさんやジイさんが受賞するかもしれないのに、賞品=小さなお人形ってことはないだろう。おそらく、急遽つくった賞だ。

 上のコンテストの話を聞いて以来、私は「影が見えない」を聴くと、これを女子高生にだしぬけに歌われた審査員たちの衝撃を想像して、可笑しくなってしまう。
 時期的に離れていないので、レコーディングの歌唱とほぼ同じように、電器屋さんでもズドンと歌われたことだろう。

 優勝はできなかったが、しかしこのイベントで彼女の才能に注目した人があり、次には電鉄会社主催の「ニューフォーク・コンペティション」という、賞品がたぶんお人形とかではないコンテストに出場。

 大規模イベントのこちらではあっさり優勝し(この違いが可笑しい)、そのままレコード・デビューとなったのである。まあ、特別な歌い手だという最初の評価は当たっていた。

ダークサイド・オブ・ザ・ハコ

 山崎ハコの、こわい方向へいちばん振れた曲というと、「呪い」であろうか。わら人形に、コンコン釘を打ちつける歌だ。
 某・子供テレビアニメのエンディングで、この「呪い」が流され、局に抗議が殺到したという伝説をもつ。

 夕方の時間帯のアニメだから、親御さんの抗議はうなずける(深夜のアニメだと、より怖いともいえるが)。
 釘を打つ「こんこん」という擬音が、あの「雪やこんこ、あられやこんこ~」のようにカラッと歌われているため、局スタッフは油断したのかもしれない。

 この「呪い」の次の年にリリースされた、中島みゆきのこうした方向の有名曲に、「うらみ・ます」というのがある。

 この曲表記は、「飛・び・ま・す」に何だか似ているし、あんたのことを「死ぬまで」うらむという、通常のみゆき曲をこえた死言葉チョイスや、男のドアに爪で字を書き残すこわい行動など、心の深層において山崎ハコ「呪い」の影響があるのじゃないかと、昔から感じている。

 一方、同じく空気感から考えて、山崎ハコのアルバム名「飛・び・ま・す」に、いにしえのコント55号のギャグ「飛びます、飛びます」の影響は、ぜったい無いだろう。

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