山崎ハコの作品に対する外国人のコメントで、もっとも目にする言葉は“beautiful“である。
これには、ちょっと目からウロコが落ちた思いがした。
歌詞がわからない状態で(何か悲しいことが歌われている雰囲気は伝わるにしても)、この人の作品にふれると、ずばりそうした感想になるのか。
これは日本人が体験しえない、山崎ハコへのファーストコンタクトのかたちである。
自分が「外人まがい」になったつもりで、音のみに意識を向けてたとえばアルバム「飛・び・ま・す」を聴くと、たしかにメロディ、うた、繊細にアレンジされたギターなどの音が、それだけで十分に価値をもっていることを再発見する。
しかし、曲を聞いたとき、「ことば」ほど即座に理解されるものはないので、私たちが山崎ハコにふれて第一にうかぶ感想は、詞世界のこと(暗い、共感できる、こういうのはごめんだ等々)になってしまうのである。
山崎ハコの「詞」は、このシンガー・ソングライターにとってむろん強力な武器の一つであるが、作品が広く聞かれる上で、足かせにもなっていたのかもしれない。
初期の山崎ハコには、青信号へ「変われ!」と路上でシャウトする、非常にかっこよいロック・チューン、「青信号」なんて曲もある。
エレキギターとオルガンがいい感じで交錯するロックサウンド、および路上を急ぐ歌という点で、英国のハードロックバンド「ディープ・パープル」の名曲、「ハイウェイ・スター」を連想したりする。
山崎ハコの叫びは最後には、青信号へ「変われ!」から、「変えろ!」へ変わる。要求の相手は交通警察であろうか。
サウンドは、車でぶっ飛ばしている感じなのだが、実際は「歩行」の歌であるのが可笑しい。
強力なリズムセクション――つのだひろ&後藤次利――も次第にボコボコ暴れ出す、「元気が出る曲 by 山崎ハコ」。
あるいは、今から数年前に日本レコード大賞のアルバム賞を受けた、アルバム「縁 -えにし-」の表題曲のように、後年の曲は暗いというより、「しみじみ良い」といった感じのものが多くなっている。
たいへんな要求群
実際に山崎ハコが話すのを聞くと、暗い印象はぜんぜん受けない。中島みゆき同様、しゃべりはむしろ明るい(アイドル的なハジけた明るさとは違うけれども)。
後年インタビューで語っているところでは、山崎ハコはデビューしたころ、事務所の社長から、「しゃべるな」「明るくするな」と命じられていたそうである。
それどころか、「暗いうた」路線のイメージ戦略なのだろうが、「人間嫌い」という人物設定までされ、びっくりしたという。実際は、友だちの強い押しで地元コンテストへ出たりしたように、まったくそんなことはないのに。
さらには、恋愛禁止どころか事務所の許可なく外界と接触することが許されず、多くの時間を部屋で一人ですごす日々。親ならぬ事務所のハコ入り娘だ。
しかし、社長に逆らう気持ちはわかず、社長と自らの関係は、「カルト宗教の教祖と信者に近かった」という。
社長はまた、「山崎ハコ」(むろん芸名)は近親者と絶縁していることになっているのだから、実際に親戚縁者と縁を切れとまで要求したそうだ。
あの当時を思い出して、想像するのだが……。
この社長が、不幸な家庭事情といったウソ設定を強いたのは、山崎ハコより6年ほど前にデビューし、世にセンセーションを巻き起こした、元祖「ギターをつまびく薄幸少女」、藤圭子のイメージが頭にあったためではなかろうか。
公の場で笑うことを、上から禁じられたという話からして、両者よく似ている。
あのころは、芸能人が「不幸な過去を背負っている」ということが、その人や作品を「売る」上で一つ大きなアピールポイントになるところがあった。
山崎ハコが自分の資質とちがう曲を、むりに作っていたわけではないと思うが(素人のとき作った「影が見えない」から考えても)、上述のような「ハコよ、お前は人間嫌いなのだ!」といった社長のプレッシャーもあって、そうした方向だけを尖らせた面もあったのではないか。
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