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 自己の孤独な心情を、曲タイトルとして短くあざやかに表現するのでも、中島みゆきの場合は「ひとり上手」と、「人内」で踏みとどまるのだが、山崎ハコは、(私は)「人間まがい」という表現まで行ってしまう。
 こうした言語センスは、むろん秀逸なのだ。しかし、同時に恐くもある。

 私が「人間まがい」という曲名(&アルバム・タイトル)を見て、即座に連想してしまったものは、むかしの怪奇アニメ「妖怪人間ベム」であった。
 「早く人間になりたい!」と主人公が叫ぶやつ。

 アルバム「人間まがい」は、先ほど書いた曲「呪い」をふくんでいるが、その一つ前に置かれている曲、「からす」のほうが、私にはずっと怖い。

 この曲は、歌われていることがスッと理解できないため、「呪い」に比べると目立たないけれど、とびきりの詞の才、曲の才、歌の才がむすびついた、遅効性こわい歌の金字塔だと思う。

 反復される「カァ~」の声が、子どもの「は~い」のようにも聞こえ、対象がカラスなのか人間なのかわからぬまま、何かがさらわれる描写が進んでいく。

 乾ききった見えない目で、「私」を見上げているモノたちは、いったい何なのか。
 いや、この「私」じたい、そもそも……。

 ムチの音が鳴り、打たれたのは何だろうと思うが、結局、何も定かにわからない。
 アルバムのタイトルの、人のキワが揺らぐ感じや、強い疎外感がこの曲にも入っているし、あの原初の「飛びます」も、ここでこだましている。

 この人は、怖さを追うとグロや残酷になるのでなく、心象世界のなかをどんどん深く下っていくのだ。明確な「意味」が消えてしまうところまで。


 アルバム「人間まがい」のなかの、「心だけ愛して」「きょうだい心中」の2曲は、1979年に公開された「地獄」という映画の、主題歌/挿入歌になっている。
 「暗い歌ならハコさん」という一般イメージから、黒羽の矢が立ったものだろうか。

 もっとも、ホラーな曲がずらり並んでいるのはこのアルバムだけであり、あの「呪い」もふくめ、これは企画として意図的にホラリフル(?)に作られた作品群のようである。

欧米からの賞賛

 山崎ハコの音楽がいま欧米で受けているという現象に、おどろいた理由はいろいろある。
 40年も前の作品が地球の裏でファンを発生させているという、登場時の「飛・び・ま・す!」宣言どおりの、時間と空間の大きなとびかたもその一つ。

 しかし、それ以上に意外だったのは、この人の曲が、純粋にサウンドだけで外国人を魅了してしまったという事実である。
 彼らは当然ながら、初め「何を歌っているのかぜんぜんわからない」状態で聴いて、「これはいい!」とひきこまれているのだ。

 外国人がネットに書きこんでいる感想を見るとなかなかおもしろい。

「彼女の音楽はドラッグだ」

「今までこれを知らずに人生をすごしてきたなんて」

「山崎ハコを聴くと、いつも自分の上で満月が輝いている気分になる」

「自分はヘビメタ好きなのに、このような音楽を2週間ずっと聴き続けることになろうとは」

「LPレコードでハコの全アルバムをそろえたい」(実際に、あちらで入手できる山崎ハコの中古LPは、あっという間にSold Outになったもよう)

 古い音楽として価値を感じているのではなく、逆に、「新しいものが入ったタイムカプセルを開いたようだ」と書いている人がいるのはおもしろい。

 これはまさに、「飛・び・ま・す」が発売された時分のことだったと思うが、私の学校の英語の先生で、「英語の音を勉強するにはカーペンターズを聴くといいぞ」とすすめる人があった(当時、カーペンターズを知らぬ日本人はいなかった)。
 カレン・カーペンターは、米国の他の歌手にくらべ、発音がとてもクリアで、歌い方もゆっくりだからというのである。

 今回、これとちょうど逆の書きこみをしている英語ネイティブがいておもしろかった。
 自分はいま日本語を勉強しているのだが、山崎ハコは発音がクリアで、しかもゆっくりした歌い方だから、日本語学習に最適だというのだ。

 たしかにこの歌手の発音は聞きとりやすいと思うけれど、「わら人形に釘を刺す」とか、「きょうだい心中」とか、「人間まがい」といったフレーズを、初級の日本語学習者が次々こころに刻んでいって大丈夫であろうか。

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