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 しかし、この「大丈夫」は、肉体疲労にはあてはまっても、酷使で腱が断裂したり、関節が壊されたりといった現象――休んでももはや元へ戻らない――にはあてはまらない。

 しかも、大会でずっと勝ち進むような優れた投手ほど、より多くのイニングを投げ、ウデを痛める危険が当然ながら高い。
 いわば国宝ほど、より粗末に扱われるような状況だ。

 報道というものの性格からして、結果として成功した投手の情報しか私たちには届いてこないわけだが、とびきりの逸材が、肩やひじを壊してひっそり去っているケースも少なくないのではないか。

 いや、高2のときに大車輪の活躍をし、知名度があるがゆえ、その後の経緯がこちらまで伝わってきた選手もあった。とある、野球の超名門校の選手だ。

 彼は、高3時は肩痛でもはや投げることができなくなり、プロへ進んだが、結局、投手を続けることは断念せざるをえなくなったのだった。

 「高校のときはすごかったけど、その後伸びなかった」と、あっさり寸評されてしまう投手のなかには、こうした「壊れたら自然回復などしない」身体パーツを、はや十代にして壊した若者がけっこう含まれているのではないか。

 苦労して出場した舞台で自分が最後まで投げたいと願うピッチャーや、延長に入り、「この回さえ抑えれば勝てるかも」という状況のなか、エースを下げる決断など到底できぬ監督に、非があるとも思われない。

 世には、下からの意見で決めた方がいいことと、トップがバサッと決めた方がいいことがあるが、この場合はだれか上のほうの人があえて悪者になり、「高校生は1試合で130球以上投げてはならない」などという強引な規則でも作らないと、若き国宝たちの破壊はずっと続いてしまうだろう。

 逆に、元々そんな規則があってしまえば、どのチームもそれに合わせて戦術をねり、エース以外の投手にも必然的に出番が生じて、いっそう、高校生が思い出を残す大会らしくなると思うのだが。

 高校生くらいの年齢での野球の「投」ほど、日本とアメリカで考え方が隔たっているものはない。

 アメリカでは、体がまだ固まっていない中学生や高校生に、集中的に腕を酷使させるのは良くないとして、人でなくバッティングマシンに球を投げさせ、試合をすることもよくあるという。

 かの国がスポーツについて、万事「おだやかに、体に負担なく」というふうであるなら、この配慮を「なんと過保護な」と笑いとばすこともできよう。

 しかし、あちらは「アメフト」などいう肉弾戦、一種の格闘技といえる球技が一番人気を博するほど、スポーツに荒々しさを望む国である。
 先ほどの、二塁ベース上での選手のぶつかり合いなどにも、そうした荒々しさ志向は現れていよう。

 そんなアメリカにあって、かつ野球について最も長い歴史と経験をもつ国にあって、ピッチャーの腕というものがこれほどまでに保護的に扱われている。

 何でもアメリカ式が最良だとは思わないが、この点は、先入観を捨てて、もう一度吟味したほうがよいのではなかろうか。

あまりそれに頼ってはいないが、酷使はしている……

 「投げ込み」に関する上の話は、はじめに書いた下半身主体/上半身主体のからだの使い方という話と、むろんじかに関係してはいない。
 しかし、こちらの感じ方や習慣を絶対視し、他のやり方をハナから却下することの危うさという点では、通ずるところがあると思う。

 「腕で」投げたりバットを振ったりするのだから、ただちに上半身を強化すべしと考えるのは短絡的すぎる。筋肉をつけると体の柔らかさが失われ、むしろ害になるといった見方もある。

 けれども、注目してきたあのジャンピングスローのようなプレー――野球の性格上、ある場面で求められるプレーの一つ――となると、上半身の強い筋力なしには、とうてい不可能な行いに思われる。

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