この手術は、昔は「一か八か」の試みだったが、いまは失敗の危険はほとんどなくなり、手術の結果、球速が前よりアップすることもしばしばある。
高校時代の怪物ぶりが印象に残っている者としては、「怪物・松坂」がメジャーでも蘇るのではないかと、手術のあとの復活に期待を抱いていた。
ところが、これも先ほどの鷲田氏がコラムでリポートしていたことなのだが――実際に手術でひじを開けてみたところ、その状態は予想以上に深刻で、靭帯のほとんどが断裂していたのだという(よく、それまでメジャーの公式戦で投げ続けていたものだ……)。
トミー・ジョン手術では、腱を移植し、患部をしばって補強する際、ふつう三重にかなり強く巻いてしばる。
しかし、松坂投手の場合はそれに耐えられないという判断で、二重に、ゆるくしばることしかできなかったというのである。
アメリカでは、松坂投手は私たちの感覚からすると異常なまでに、投げ込みの量を制限されていたのだから(公式戦でも、球数が制限に達したとして、早めの回に交代させられることが多かった)、靭帯の損傷は、すでに日本時代に大きく進行していた可能性が高いだろう。
高校のころの、比類なき超怪物ぶりからすれば、日本のプロ時代さえ、持てる力をじゅうぶん発揮していない気がしていたのだが、ひょっとするとこの腱の断裂は、1試合で250球も投げ、さらに次の日も投げたりしていた高校時代に、すでに始まっていたものなのかもしれない。
その後も、和田毅や藤川球児という日本のトップクラスの投手が、メジャーとの契約直後、検査で靭帯の損傷がわかり、移植手術を受けるということが起きた。
とことん「投げ込む」というと、私たちが何となく抱く印象は、努力して「鍛える」、肩や腕を「より強くする」といったプラスのイメージである。
しかし、ひじの内部の状態を調べ、ほんとうにただ筋が発達し、腱の断裂などが進んでいないことを確かめた上で、そんなイメージを抱いているわけではむろんない。
日本のピッチャーが、練習でなぜ多量の投げ込みを行うか(中高生なども含め)といえば、先輩たちがずっとそのようなやり方で鍛えてきたから、という理由であろう。
けれども、あることがきわめて「一般的」であるからといって、それが即「正しい」とはかぎらない。
私が子供のころ、スポーツの最中に水を飲むのは体に悪いこととされ、苦しくても終えるまで飲むなと教えられた。ある時期から、それとまるで反対のことが教えられるようになった。
私は今でも、テレビのマラソン中継で、選手が飲み物のボトルを取るシーンを見ると、むかし脱水状態でえんえん走らされたことを思い出したりする。
あるいは当時、「ウサギ跳び」という鍛錬法が、足腰を鍛えるには一番であると言われ、私も友だちと競うようにしてやったものだが(某有名「スポ根」マンガの影響もあったかもしれない)、やがてこれはヒザに非常に悪いということで、指導者はぱったり勧めなくなった。
良し悪しをほんとうには確かめ得ないまま、「こうしなさい」と語られていることというのはあるのだ。
何かで「明らかにこれはまずい」と判明しないかぎり、今までのやり方が引き継がれるのは、当然のことともいえる。
今年、メジャーへ渡った田中将大が、昨年の日本シリーズで1試合に160球も投げ、次の日にまた投げたということが、アメリカの野球人に大きな驚きを――入札予定球団に大きな心配を――与えたようだ。
しかし、高校野球のほうでは、昨年も今年も、1試合に200球前後投げる投手が出ている。しかも、1日だけの無理ではなく、連投ですごい数を投げる。
子ども――20歳に達していないという意味で――の試合で、大人の野球以上に多くの球数が投げられ、しかしそのことを私たちがあんまり問題視しない理由の一つは、次のことではなかろうか。
すなわち、「高校生、中学生は、当然ながら若く元気である」→「回復力が高い」→「大人より負荷が大きくても、大丈夫だろう」というイメージだ。
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