そもそも、「悪いこと」でない?
ツッコミは、はたくことが自然であるという以上に、私はこの暴力の背後には、日本人らしい細やかな「おもてなし」の感覚がひそんでいる気がする。
関西から関東へ移った人が、自らがボケたあと周囲がただ静観するさまに、「そこでつっこんでくれんと……」と要求するのを見たことがある。
関西にあって、ボケに対してツッコミによりその場にけりをつけてあげることは、極端にいえば「礼儀」に属すのではないだろうか。
ボケというのはつねに、「すべったらどうしよ」という少しの恐れとともに敢行される。
ボケた人に周囲が何の応答もせず、沈黙のときが続いたり、何事もなかったかのように次の話へ進んだりすることは、ほかならぬボケにとってつらい。
その意味で、ボケに対するツッコミというリアクションは、「とがめ」「否定」であるどころか、いっそ「愛」に属す行いとさえいえるかもしれない。
浜田雅功はむかし笑福亭笑瓶と組んで深夜番組をやっていた。
そこで、芸名に「笑」を2個もふくむ人だというのに、先輩の笑瓶兄やんがおもしろくないボケを次々にくり出すのに対して、浜田雅功が「もうめんどうくさい」とキレて、つっこむのをやめたシーンを見たことがある。
そのとき私は、かの「はたき」はこの人のなかで、一つ一つが自らのサディスティックな喜びというより(そういう面も少しあるかもしれないけど)、「奉仕」なのだなと思った。
そのような感覚が根っこにあるからこそ、大先輩のお笑いタレントなどにも、そんなに心理的抵抗なく手が動くのではないか。
たしか、事務所の先輩&大御所、明石家さんまの頭もたたいたことがあったような……。
ふたたび書くと、私は先ほど「消える魔球」になぞらえた浜田雅功の奇跡の、いま「土壌」サイドの要因を考えているわけなのである。
同郷の別の頭へ降った雨
浜田雅功にはたかれた、前述の作家・野坂昭如は、いまの若い人にはあのジブリ映画「火垂るの墓」の、原作小説の著者だと紹介するのがてっとり早いだろう。
あそこで描かれる戦時中のできごとは、この作家が育った兵庫県での話であり、小説じたい関西弁で書かれている。
野坂昭如が、テレビのCMで自作のおかしな歌を踊りながら歌ったりしていたのも(歌うときはシャンソン歌手「クロード野坂」を名乗っていた)、関西育ちのエンタメ感覚が根っこにあったと想像する。
ダウンタウンの二人も同じ兵庫出身だ。浜田雅功が、相手が直木賞作家であっても「このおっさんのあたまは、行ける」と直感した背後には、「同郷」「関西」というキーワードがあったと私はにらんでいる。
「巨人の星」には「消える魔球は水に弱い!」という、ライバルによる見抜きの言葉が出てくる。
ホームベース近辺に水をまき、土けむりを抑えると、奇跡は起こらなくなる(かなりネタばらししているが、50年近く前の漫画だからいいだろう)。
ここで私たちは、コンビ「ダウンタウン(=下町)」が関西でなく、東京の浅草で生まれ育ち、すなわち土壌に水をまかれてお笑いタレントになったところを想像することができる。
私は断言するが、そのときテレビに出た野坂昭如は、終始「先生は、~おられたのですか?」といった態度で浜田雅功に扱われ、けっして頭をはたかれることはなかったろう。
キムタクは、年下かつ芸能界歴が下であっても、「スター誕生」で欽ちゃんが歌手にしていたような扱いをされたろう。
もっとも相方だけは、浅草での欽ちゃん-二郎さんの関係のように、いまと何ら変わらぬ扱いをされたと思われる。
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