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 「スター誕生!」は1970年代~80年代の番組。

 後に「お笑い第三世代」と呼ばれる、とんねるずやダウンタウンが頭角を現したのは80年代の頭。「廊下でメークする」ほどではなくても、お笑いは格下という感じはまだそのころ強く残っていたろう。

 しかし、この世代のなかに、きわめて特異なタレントが一人いたのだ。ずばり、先ほど書いた、「雨だれ」の人物である。
 彼は上記のようなテレビ内の「序列感」を、その右手によって大胆にこわした。

直木賞作家の頭に降る雨

 小説が社会で非常によく読まれていたころ、作家という存在の地位も高く、有名作家がテレビに出るときその扱いは最上級だった。

 当時、タレント性をもった直木賞作家・野坂昭如がテレビによく出ていた。
 この人を番組ゲストに迎えた際、浜田雅功は話の流れからパコンとこの作家の頭をはたいた(私の記憶が正しければ、そのあとちょっと「もめ事」になっていたような……)。

 あるいは、歌手としても俳優業でもトップスターで、当然それなりのプライドも備わっていただろう全盛期・木村拓哉も、まるで松本人志であるかのように番組でこの右手のエジキになっていた。

 さらには、お笑いの世界じたいが先輩-後輩関係にきびしいといわれるが、浜田雅功は大先輩である志村けんの頭も、そのハゲの進行に少し加担したと思われるほど、亡くなる直前まで毎回約束ごとのようにたたいていた。

 ダウンタウンより少し前にデビューした「とんねるず」の石橋貴明は、若さで暴れるノリをもつキャラクターだったし、背が高いから手は出しやすかったと思うが、業界の先輩の頭をポカンとやるのを見たことがない。

 なぜひとり浜田雅功だけが、テレビの出演者序列のようなものを気にせず、遠慮なく他者の頭をはたけるのか?

浜田雅功と「消える魔球」

 昭和を代表する児童虐待漫画(もとい! 野球漫画の傑作)に、「巨人の星」がある。

 この作品には、相手が息子(主人公)でも娘でも遠慮なく平手をとばす、星一徹という父親が登場し、そのためらいのなさは誰かを連想させるけれど、いま「巨人の星」を引用する理由はそこではない。

(ちなみに、年配の人が「ちゃぶ台返し」というレトロな言葉を使うことがあるが、その70%くらいが具体事例として思い浮かべるのは、この星一徹の動作だと思う。)

 この漫画の主人公・星飛雄馬は、幼少のころ父に仕込まれた技術をもとに、「消える魔球」という、投げた球がホームベース近くでパッと消える魔球をあみだして活躍する。

 この魔球のひみつは、「球」じたいに一つ、投げられた球の下の「土壌」にもう一つある。
 片方だけではこの「奇跡」は起きず、球と土壌が合わさって初めて、他の誰にも投げられない球が出現する。

 私は、誰もマネできないことをする浜田雅功の右腕のひみつも、これと同じ二重構造にある気がしてならない。

 ダウンタウンは、誰もが知るとおり関西出身である。

 「どつき漫才」の始祖、正司敏江・玲児といった名をあげるまでもなく、関西の漫才は、ツッコミが相方のボケに「積極的に」フルコンタクトするものが多い。

 利き腕で思い切りやるために、このツッコミの人は向かって右側に立っているのだなと、立ち位置の理由をこちらに明確に感じさせたりする。

 そのような漫才になじんでいるダウンタウンにあって、自ら漫才をやってみたときから、ボケた相方をポンとはたくのはごく自然なことであったろう。
 二人が今の立ち位置になった理由を、私は知らないのだが、想像していることであれば、むろん上記のようにある。

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