浜田雅功~お笑いの地位を片手で激変させた天才
(2021/6/23)
かの人気コンビ「ダウンタウン」にあって、「天才」だとか、「お笑いの世界を革命的に変えた」といった言葉が語られるとき、それは100%、二人のうち松本人志を指している。
芸能界に彼らが登場して以来、私が見聞きしたかぎり一つの例外もなくそうだ。
私はここで、その点に異を唱えようとする者である。
といっても、松本人志が上のような言葉にそぐわないと言うのではない。そうではなくて、私がいくぶん義憤にも近い気持ちからここで書こうとするのは、このコンビのもう一人の人物についてなのである。
お茶の間へ「暴力」を見せるひととしての欽ちゃん/浜ちゃんの同じさと違い
「視聴率100%男」(三つの冠番組で合計視聴率が100%超)と呼ばれた1980年代の欽ちゃんは、他者を活かすプロデューサー的な立ち位置だったが、それ以前の欽ちゃん(1970年ごろ)は、きびきびした「身体能力系」コントの人だった。
私がいまも鮮明に覚えているのは、コントのなかで欽ちゃんにややこしい動作を要求された相方の坂上二郎が、舞台中央で汗をかきかきボケた動きをしているところに、欽ちゃんが舞台そでから助走し、飛び蹴りのツッコミによって二郎さんを吹っ飛ばす光景である(太った二郎さんが、驚くほど飛んでいた)。
「すごくかわいそうだが、すごく可笑しい」タイプの笑いである(人間の不条理)。
ライバルのドリフターズもそうだったけれど、昔のコントは言葉のやりとりよりも「動き」によって笑わせるスタイルが多かった。
欽ちゃんが、いまも現役でお笑い活動を続けているのに対し、二郎さんのほうは今から10年ほど前に亡くなった(東日本大震災発生の「前日」であった)。
私はもし、かつてのコントでの二人の役割(ジャンプして蹴る/蹴られて反対そでまで転がる)が逆だったら、欽ちゃんはいまこのようにお元気だろうかと、ときどき思う。
他方の「浜ちゃん」は、跳び蹴りみたいな大きな動作はしないのであるが、テレビのなかで、隣にいるタレントの頭をすごく「はたく」人である。
その右手を一番受けとめているのは、むろん相方の松本人志だろう(総数の90%くらいか)。
「ちりも積もれば山となる」「継続は力なり」といわれる。
あるいは「雨だれ、石をも穿(うが)つ」(一滴一滴は力が弱い雨だれでも、石の上に長年落ちれば、その石に穴を開ける)という言葉がある。
ダウンタウンの場合、「雨だれ」にあたるのは浜田雅功の右手の振りで、「石」にあたるのは松本人志のあたまだ。
手とあたまの間で、雨滴どころでない打撃のくり返しが、もうすぐ40年も続こうとしている。
「石をも穿(うが)つ」ようなできごとは、相手がどんな石頭でも穿つだろう。
松本人志は、還暦へ近づくとともにパンチドランカーになっていないのだろうか。いま急に雨だれを止めても手遅れかもしれないのだが心配になる。
「ボケ」という特殊な役割にあっては、頭をたたかれることは害よりむしろ能力促進になるという判断が、そこにはあるのか……。
「お笑いごときが」「お笑いふぜいが」だった時代
しかし、私がここで特に注目したいのは、相方をめがけた萩本欽一/浜田雅功の「類似性」(アタック性)ではなしに、「違い」のほうなのである。
テレビの世界はいま、諸番組を支える一番の人材はお笑いタレントではないかと思わせる状況になっている。だからそのステータスも高いのだが、かつては全く違っていた。
寄席の世界に「色物(いろもの)」という、本筋・主流でない出演者(漫才師、ものまね等)を指す呼び方がある。
転じてテレビ界でも、俳優・歌手・文化人といった出演者に対して「お笑い」を色物と呼び、明らかに一段低い存在として見る空気があった。
欽ちゃんはテレビ界の人気者として、かつて「スター誕生!」という新人歌手発掘番組の司会をしていた。
いまの感覚だと、センターポジションのお笑いMCが、笑わせつつ周囲を仕切ってぐいぐい進行させていく絵が頭に浮かぶだろう。
しかし、自伝によれば当時、コメディアン司会者にとって番組ゲストの歌手などは「ずっと格上」「見上げるような存在」であり、「僕は歌手さんと一緒に控室にいるのに気後れがして、化粧道具を持って廊下でメークしていた」という(日経新聞「私の履歴書」)。
番組で、歌手に打ち合わせにない質問をすると、「あとでマネジャーに『よけいなこと聞くんじゃねえよ』とすごい剣幕で怒られる」。
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