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「イッツ・ア・ハード・ライフ」

 フレディという人は、生涯にわたって、たえずつらい思いをする外的環境にさらされていたように映る。

 幼いころ、一人で遠い国の生活へ放り込まれた出来事が皮切りといえようが、彼は居住したどの国にあっても、先述のように民族/宗教的にマイノリティの立場であった。

 ロックで身を立てんとバンドに加わると、自分以外がみな生粋の英国人というだけでも、肌/眼の色を気にしていた話のように少し嫌だったと思うが、ふつうのバンドだったらどうでもいい学歴云々といった話さえ、クイーンゆえまとわりついてきて詐称へ追い込まれたのだ。

 ボーカル=フロントマンということもあろうが、容貌についても露骨にけなされた(歯を直せと、はたからだいぶ言われたらしい)。
 さしたる欠点じゃないと私は感じるけれど、他メンバーがアイドル級の美形ぞろいゆえ、目立ってしまった面があったのかもしれない。

 フレディの派手なステージアクションは、観客を魅了する天性の能力であるとともに、このような「才色兼備」トリオに囲まれるなか、自分を鼓舞して行ったものでもあったのではないか。

 今回の映画が正面から描いていたように、性的な意味でもフレディはマイノリティであった。

 同時代の大スター、エルトン・ジョンなどもその辺苦しんだというが、1970年代~80年代は、同性愛者であることをスターが公にできる時代ではなかった。
 マイノリティに対する偏見というだけでなく、欧米にあっては宗教的な問題もからむ。

 フレディは、そうした面や出自など、オープンにしがたい事柄をたくさん抱えた人であった。自身が有名になればなるほど、気苦労は減るよりむしろ増したことだろう。

 そして最後は、エイズという当時不治の病に侵され、四十代なかばで亡くなったのだった。
 大スターゆえつまびらかにされた種々の事柄を知るにつれ、フレディをとりまく状況が、生涯にわたりこの人をいじめつづけたように感じられてくる。

ファンタジーなのか、リアルなのか

 私たちは、「ボヘミアン・ラプソディ」で歌われる

「からだに常に痛みがある」
「生まれてこなければよかったのにと思うときがある」

といった言葉を、たとえば太宰治の「生れてすみません」という言葉のようには、シリアスに受けとらなかった。架空の人物の、架空のセリフとしか感じなかった。

 この曲が日本でリリースされたころ、当時人気ナンバーワンのロック批評家だった渋谷陽一が、雑誌「ロッキング・オン」に次のような感想を書いている。

「ボヘミアン・ラプソディ」はとても美しく感動的なナンバーだが、歌詞そのもののリアリティは希薄である。どう聞いてもよくできたおはなしといった印象しか持てない。
 僕自身の感性の方に問題があるのかもしれないけれど、やはり余りにも大仰すぎるのではないか。」(「クイーンはなんてドラマティックなんだろう」ロッキング・オン1976年10月号)

 渋谷陽一はクイーンを初期から評価していた批評家であるが(それはこの記事タイトルにも表れている)、そうした好意的な立場でも、この曲に歌い手の「リアリティ」や、ロックというジャンルにしばしば宿る切実さといったものは、感じられなかったのだ。

 それは当然といえば当然であり、ブルースの対極にあるようなオペラティックな歌唱や、派手な衣装といったオーディオ&ヴィジュアル以外、フレディのパーソナルな情報は当時ほとんど伝わってきていなかったのである。

 さらには、「ボヘミアン・ラプソディ」の主人公の「一人の男を殺した」という告白。こんな言葉に、歌い手のリアルを感じる人がいたらどうかしている。

 アルバム「オペラ座の夜」に入っていることもあり、3パート構成のこの長尺曲は、オペラによくある作りごと悲劇――「蝶々夫人」のような――に類したものに映る。

 けれども、先述のアンケートでフレディがどの問いにもまっすぐ真摯に答えていたように、この歌詞にも、ファンタジーでなく彼の「リアル」が潜んでいたとしたら……。

 そのあたりは、フレディ自身が「これぞ私を表すものである」と語った、「プリテンダー」――自分でない何かを演じる人――という言葉とともに、後ほどふれることにしたい。

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