いつのまにか、多様な社会的価値を
ハリウッドのSF/ホラー界は、CG技術の進歩にともない、「エイリアン」に代表されるような、造形的にとても凝った「気味わるいもの」を、その後どんどん生み出すようになった。
それに比べると、人間がすこしメイクした外観にすぎないゾンビは、映画が何作もつくられるとマンネリになりがちだ。
かといって、CGで死者の外観をより崩したりすれば、一般のお客さんの足はむしろ遠ざかるものになってしまう。
「エイリアン」は5作めでもヒットするけれど、ゾンビ映画は初期2作が頂点になってしまったのは、そのあたりが原因ではないだろうか。恐いキャラが人間の形であるがゆえの、ヒューマニズム的な制約。
そうした状況であるから、ゾンビというキャラクターは、ホラーファンはともかく一般にはなじみの薄い存在になっていくかもしれない。
しかし、私はたとえあの動く実体としてのゾンビが社会的に死んでも、「ゾンビ」という言葉が死語になることは惜しいと考えている。
たとえば、「ゾンビ企業」という言葉がある。それじたいは経営が破綻しているのだが、政府や銀行などの支援で生き続けている企業をあらわす言葉だ。
死んでいるが活動を伴っている矛盾感、その気味わるい存在感、こうしたものが続々と現れたら社会がやばい感じなどが、「ゾンビ」のたった3文字によってあっさり他者へ伝達できてしまう。
同じくらい簡潔で、これに置き換えられる単語を、だれか思いつくだろうか。
B級ホラーなどと縁がない、まじめな経済人やメディア人も、この言葉を重宝して使っている。
しかし、もし社会の大半の人が原初のゾンビを知らなくなり、あの「ウルトラC」のように、「年配の人がときどき口にするゾンビって、何なの?」という状況になったら、こうした経済コミュニケーションの利便性は失われてしまう。
「ゾンビ企業(zombie company)」という言葉が生まれた、そもそものきっかけは何か、ご存じだろうか。
実は、ほかならぬ日本がその端緒なのだ。
英米人がこの言葉を解説しているものを見ると、1990年代の日本のダイエーの経営破綻を外からながめ、あちらの人が思いついた言葉のようである。
平沼赳夫財務大臣(当時)の、「大きすぎてつぶせない」という言葉が紹介されている。
ダイエーをその後吸収したイオン・グループは、来年(2018年)、「ダイエー」というブランド名を完全に消す予定であるとアナウンスしている。
栄光のダイエーもまた、やがて「ダイエーって何?」という言葉になってしまうことだろう。
この会社は、かつてプロ野球チーム(ダイエー・ホークス)も所有していた小売業界の雄であり、日本で初めてショッピングセンターを作った存在としても知られている。
じつは、日本がきっかけで生まれた言葉だという点に興味をもち、私は今回、「ゾンビ企業」という言葉が外国で生まれた経緯を、あちらの新聞記事をさかのぼってちょっと調べてみたのだ(昔ならたいへんだが、ネット時代の今はけっこう簡単である)。
そうしたら、非常におもしろいことがわかった。
彼らは、「たまたま」ダイエーをきっかけとしてこの表現を考えついたのでは、おそらくない。「ほかならぬ」ダイエーだったからこそ、この表現がひらめいたと思われるのである。
「ダイエー」が英米人に、これを自然にひらめかせた理由はたぶん二つある。
いかに優れたエコノミストでも、ロメロの映画を観てないと気づけない点と思われるので、書いてみよう。
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