死者とのつながり感
ドクロが、あちらでなく「こちら側」の存在であるといえば――。
私はそもそも、死者に対する感覚が、西洋と日本でずいぶんちがう気がするのだ。
たとえば、日本人が家の仏壇に向かって、故人に相談するように話しかけたりする姿。西洋人が見ると、きわめて異様に(それこそホラーに)映るようである。
私たちは、死者がよみがえるといった言葉を耳にしても、かの「ゾンビ」のようにすぐさま邪悪なイメージでとらえはしない。
たとえば、日本の死者系ホラーの代表作、「四谷怪談」のお岩さん。
この怪談でも、現れる死者の外観はひじょうに怖いものにされている。
しかし、私たちはそれをこちらと隔絶的な存在とは見ず、むしろひどい目にあったそちらへ感情移入しさえするのである。
お皿をひたすら数える、あの気の毒な婦人などもそうだ。
お岩さんにちなんだ、「於岩稲荷(おいわいなり)」というものがある。
これは、作ると利益――「りやく」でなく「りえき」――があるということで(お賽銭、みやげ等による)、多数の場所に作られたそうである。
お岩さんは、男の浮気をうらんで出現する。そういうお話ゆえ、一つには男の「浮気封じ」にご利益があるという理由で、お参りに来る人でにぎわったのだという。
ここでは、化けて出てくるお岩さんが、邪悪どころか神様のようなポジションへ至っているのだ。
会ったこともない男の浮気まで、お岩さんが止めてくれることを祈念して、お賽銭を入れる人たちはすごい。
一方、於岩稲荷の背後には、お岩さんへのお賽銭によってお富さんになる人々も。
於岩稲荷のみやげ品には、まんじゅうなんかもあったりするのだろうか? 岩おこしだったりして……。もう、上の状況からしたらそのくらいアリな気がする。
アングロサクソンの虚をついたドラマ
映画「ゾンビ」が公開された1978年。この年、日本で、堺正章主演の「西遊記」というテレビドラマがつくられた。
この作品はその後、イギリスやオーストラリアで放映され、ものすごい人気をえた。
私は、あちらのファンがつくっているネット上のファンサイト(今もあり)をいくつかのぞいたことがあるが、彼らの熱狂度は日本の少なくとも3倍と断言できる。
吹き替えた声優たちまで、そのことでスター的存在になっていたり……。
このドラマに登場するさまざまな妖怪は、あちらだと「デーモン」「モンスター」という言葉、概念になる。
英国のファンが、「うちらのドラマと全然ちがう!」と驚いているのは、悟空らにやっつけられる異形の悪党たちの、なんと夫婦愛や親子愛がしばしば描かれ、ドラマが「いい話」「泣かせる話」へ着地している点である。
悟空や三蔵法師が、それを見てもらい泣きしたりして終わる。
あちらの感覚からすれば、たしかに「なんだこの異常展開は!」だろう。
たとえば「猿が宇宙を飲みこむ」というタイトルの話(邦題「妖怪夫婦・金角、銀角」)は、この点でとりわけ背負い投げ的な衝撃を与えたようで、ファン投票で人気が非常に高く、このタイトルそのままのフォーク系バンド(Monkey Swallows the Universe)が英国で結成されたりしている。
「西遊記」ファンの英国人たちは、もはや体に免疫がつくられているので、たとえわが国が次にゾンビの恋愛ドラマを送りこんだとしても、「日本なら」と驚かないのではないか。
タイトルは、「ロメロとジュリエット」でどうだろう。怒られるか。
キモかっこいい人気ヒーローたち
気味わるい存在をあえて主人公にすえて魅力を生む、日本のエンターテイメントのツボという話に戻りたい。
私は、あの長寿ヒーロー、「仮面ライダー」もこの引力を活かした作品だと思うのだ。
ヒーローが昆虫の外観をもつ(触角つき)という、少し気持ちわるいところがミソであって、他のただ「かっこよさ」で造形されたヒーローが一発屋で消えていくなか、これほど長く人気をたもっている大きな原因ではないか。
私は以前、歴代仮面ライダーが何十人も勢ぞろいしている写真を何かで見かけて、そこに悪の手先としか思えぬ外観の男が混じっていることに感銘をうけた。
たとえば、「仮面ライダーシン」という名前をネットで画像検索し、見た瞬間、「ぶきみな敵怪人」と思わなかったかどうか、自分の心に尋ねていただきたい。
これを、よくぞ「真」と命名したものである。
この造形は、ちょっと凄すぎるかもしれないけども(「ベム」テイストが入っている気がする)、日本人のツボがよくわかっているクリエーターの仕事だと思う。
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