番組の開始当時、まだ子供であった私は、これを純粋にクイズ・バトルとしてとらえ、「自軍」意識で白組を応援しながら見ていた。
檀ふみは席順的に、いつも田崎潤というおじいさん俳優と対決。私は、「田崎潤は、大声を出すだけで戦力として弱い、とても檀ふみには対抗できない」と不満を抱いていた。
ところがある日、ローカル・バスのなかで、20代半ばくらいのニイちゃん達が、この番組のことを話しているのを耳にした。
それは、「オレ、連想ゲームで檀ふみが、ひたいにシワを作って悩んでるとこが、たまんないんだよなあ」「あ、わかるわかる」といったもので、大人はあの番組をそういうふうに見るのかと、ジェネレーションショック(←カルチャーショック的な意味)を受けたのであった。
後世の言葉でいうなら、「悩み顔萌え」といったものであったろう。
あるテレビ番組を、人々が見る理由は実にたくさんある。もしかすると百八つくらいあるのかもしれない。
「連想ゲーム」では、初めに解答者が紹介され、一人ひとり顔が映り、名前が下に表示される。
これにより、全国の子供たち、しかもかなり広い世代にわたる子供たちは、「檀」というムツカシイ字は、「だん」と読むのだということを心に刻んだ。
私はこれが、独擅場→「どくだんじょう」という誤読に、大きく影響したと考える者なのだ。
もちろん、「演壇」「仏壇」「壇ノ浦」といった言葉でなじみ深い「壇(だん)」の字――土へんに亶――は、この誤読に影響していると思う。
しかし、日本に「演壇」は昔からあり、「壇ノ浦」は平家が滅ぶ前からあり、「仏壇」に至っては昔のほうが各家庭にあったのに、私が子供のころまで、正しく「どくせんじょう」と読む人は多くいたのだ。
テレビという最強メディアへの、人気者「檀ふみ」=「だん ふみ」の登場により、もう、土へんだろうが木へんだろうが、右っかわが「亶」の字はぜんぶ「だん」だという感覚が、特に子供たちの心に生じたのではないか。
仮にあの「悩」殺美女が、檀ふみでなく、「擅(せん) ふみ」という名前だったら、わが国はどうなっていたか。
先述のように「独占=どくせん」という、独り占めを表す言葉もあることだし、連想ゲームで「擅=せん」と憶えた子供たちは、独擅場を正しく「どくせんじょう」と読む21世紀日本を生んだ可能性が高い。
一部に「どくだんじょう」と誤読する人がいても、公営放送をバックにした「せん ふみ」の威力で、良貨が悪貨を駆逐したことだろう。
そうであれば、現在の国語辞典編集者たちの、誤読語「ドクダンジョウ」を辞典にずっと載せざるをえない、苦渋の思いも生じなかったのだ。
檀ふみは、己のなしたことの大きさを認識してほしいものである(あくまで個人の感想であり、感想には個人差があります)。
この問題の「起源」は、単発的な誤読というより、多数決で「ダン」が相手に完勝した時点と見るべきと思う。
大正生まれのひと田崎潤が、若き檀ふみにポイント獲得で押されまくっていたさまは、古参「セン」の運命を暗示していたのではないか。
ちなみに、前回この欄で「中・松」世代なる言葉を書いたのだったが、檀ふみや阿川佐和子は、ここにすっぽり入る人たちだ。
そのため上の推測には、「社会的に何やら影響甚大な世代だ」という、個人的偏見がすこし混じっているかもしれない。
最初へ 前頁へ 1 2 3 4 次頁へ